絶望的な夢を見た日の朝は

絶望の深淵で夢を見る。

 

若い頃はそれが自分の人生だと思っていた。奈落の底はすぐそこにあって、気を許せばそこに落ちてしまう。だが、その深淵であっても夢を見ずにはいられない。

 

情緒不安定で好奇心に満ち溢れた青春時代だった。

 

今考えるに、この絶望の深淵というのは若き自分が作り上げた恐怖と臆病であった。

 

奈落の底とは、まだ知らぬ物事の深奥である。

 

恐怖が臆病を呼び、物事を深く知ろうと思い至らない。

 

これが若さの弱みであろう。

 

若さとは恐れを知らぬことであると言う。もちろんそれもなるほど妙味はある。だが、この年になると恐れる事も然程ないことも事実。

 

絶望の深淵は具現化して三途の川のような体力の衰えとして眼前に横たわり、夢を見る事ができる時間の残り少なさを思うばかりだ。

 

確かに若い頃は恐れを知らぬ。

 

恐れを知らぬとは、世間を知らぬということだ。

 

世間を知らぬから恐れを抱く必要も無い。世間を知れば、自分が周りからどう評価されるか、どんな落とし穴が掘られているか、鬱病患者が右肩上がりに増えていくように、絶望の波紋は広がる様に思えるものだ。

 

だが果たして本当にそうなのだろうか。

 

知識と知恵と、経験と学習を積み重ねて、北の国から打ち上げられたミサイルをも撃ち落とせるシステムが組めれば、恐れる必要も憂う必要もない。

 

私にはミサイルを撃ち落とす技術は無い。

 

だが、今でも夢を見ている。

 

そこは絶望の深淵ではなく、知識と経験に裏付けられた、確固たる自我の独立性の上に聳え立つものだ。

 

若さを取り戻したいなどとは思わない。

 

むしろ、前進しかない。

社会契約と説明責任

最近、知り合いの経営者さんと話していると「料理だけできてもそれだけではダメだよねぇ」という話題になった。

 

確かに最近は、教育の底上げがある意味では地道な成果を上げているし、インターネットによって知識へのアクセスもハードルは下がっているので、逆に言えばごまかしが効かない時代になったと思う。

 

つまり、美味しい料理が作れるだけでお店が上手くいく時代では無くなったということだ。

 

それは個人的には10年より前から痛感していることなのだが、何故改めてそういう話が他の飲食業界の人との会話で出てくるかと言えば、これはスタッフの教育問題に繋がってくるわけで。

 

もちろん、料理は美味しく作れるように教えなければならない。料理が不味い飲食店に、わざわざ足を運ぶ人は少ないからだ。

 

だが、社員や店長クラスともなれば、料理だけが秀でているからと褒められない事情がある。

 

ところが料理というのもこれは地味な作業の積み重ねであり、現場仕事という観点から言って、垣根の低さからもあまり頭の良い人間はこの仕事を選ばないこともあり、必然的に土方と似て、体力仕事であり技術職であり、職人的なプライドが必ず問題になってくる。

 

当然、そういうプライドも大事なのは確かだけど。

 

飲食店を運営していく上では、料理よりも大事なことというのは山ほどあったりもするわけで。

 

俺はちゃんと料理作ってんだろ!という考え方で来られると、非常に厄介な出来事というのは多い。

 

もちろん、自分が若い頃はそういう考え方だったし、そういう職人さんが生きてこれた時代だったから、それで正しかった部分もあった。

 

バブル期というのは基本的にカネがあった。沢山人を雇えるだけの売上があったのだ。今はそうではない。料理にも創意工夫が求められ、コストパフォーマンスやリスクマネジメント、顧客満足度、店の外観内観、サービスのフィードバックなどあらゆるジャンルでそれなりのハードルをクリアしないとやっていけない時代になった。

 

カネがないからだ。作る側にも買う側にもカネがないので、双方シビアな現実の前で取捨択一を要求されるのだ。

 

買う側は、それほど美味しくなくても、値段や雰囲気がそこそこよければ良かったりする。そこに売る側が、いやこんな味では料理とは言えないと説いてみた所で煙たがられるだけなのだ。

 

そういうことをどうやって教えていけば良いのかと常日頃から思うのだが、やっぱり私のような人間は基本を大事に思うので、社会契約というところから入ってしまうのである。

 

あなたの仕事とは何ですか、ということから考えると、料理だけ作ってれば良いと言う結論にはならない。

 

労働も社会契約であって、店で飲食することもひとつの社会契約。君が美味しい料理を作れても売れないなら意味が無い。そういうことを丁寧に教えて行く必要があるのではないかと思う。

 

美味しさというのは所詮自己満足なのだ。だが、社会契約としての労働は、求められる相手からの要望に答えるというレスポンシビリティが不可欠だ。

 

その要望の枠が広い方が、多くの客を集めることが出来る武器となるわけであって、より多くの客を満足させることが売上を維持し、上昇させることに繋がっていく。

 

この五年くらいか、説明責任という言葉が濫用されるようになった。自己責任という言葉も良く見る。

 

だが日本人は責任を取ることが苦手な人種だと思う。責任を明確にせず曖昧に濁すことが文化である日本人がこの数年責任という言葉を多用するようになったのは面白い。

 

だが同時に、結局良くわからずに濫用しているだけ、という面もある。

 

日本人が等しく義務と責任を行使できる日は来るのか?と常々思っているが、やはりそれは自分自身にも教える立場である以上、後進に伝えていかなければならないのが理と考える。

 

で、大体が日本人が責任という言葉を使うのは、自分に責任がない場合に限られている。国会の議論でそれなのだから、次の都議会選挙で自民党が36%の支持を得る予想に対して民進党が2%しかないというのも、納得の結論である。

 

責任と義務は等しく果たされるべきだ。そして、それに伴い等しい対価も得られなければならない。

 

社会契約とは何のためにあるかと言えば、不平等な搾取や不自由から人間の尊厳を守るためである。

 

権威や権力のために個が犠牲とならぬために、最初から平等な条件を提示して、双方合意のもとで契約を結び、それを行使することでお互いの利益と尊厳を保つのである。

 

こんな基本的なこともわかってないので、権利ばかり主張して責任は取らない輩が増える。

 

権利の主張の前に義務や責任を果たしているのか、ということを考えるためには、社会契約という概念から教えていくしかない。と思うのである。

 

義務教育でしっかりそういうことを教えて欲しいよ。大学出たってそんなことわかってない奴多いし。ルソーは18世紀に社会契約論を説いたのにそれから200年以上も経って、まだ世界は未熟だ。

 

だがそれに辟易する暇は、俺にはもう無い。

 

 

料理人から見た北朝鮮

昨今北朝鮮がにぎやかだ。

そんな風に言ってられるのも今のうちかと思ったり、ただのハッタリだろうと思ってみたり。

 

北朝鮮の料理と言われてもいまいちピンとくるものは無い。韓国料理の方が馴染み深いのは当然だろうし、北朝鮮に料理文化などあるのか?とすら思う人がいてもおかしくない。

 

料理人からすると、料理というのはその国や土地に住む人が生み出し織りなしてきた文化そのものと思っている。

 

ミクロで言えば、我々は母親の料理に感謝すべきであり、今自分が感じている味覚に対する五感が全てそこから始まっているわけで。

 

マクロで言えば、生まれた土地が生み出す資源に感謝すべきなのだが、日本においてはもはや日本だけの資源では成立していないのが現実で、そもそもグローバル化しちゃってるので料理に対する文化的な知見というのは稀薄になっているのではないかとすら思える。

 

うろ覚えだが韓国料理でも有名な冷麺は、北朝鮮が発祥だったような気がする。

 

北朝鮮という国はかの第二次世界大戦の後、朝鮮戦争によって南北に分断された社会主義国である。資源に乏しく海にすら面さず、中国とロシアに挟まれた弱小国と呼んで差し支えない。

 

だが朝鮮戦争に米国が参戦しなければ、今の韓国は無かった。北朝鮮はすでに済州島近辺まで一時的には制圧していた経緯がある。

 

アメリカさえいなければ、朝鮮は統一国家として金ファミリーの元で社会主義国だったのだ。

 

そういう意味ではアメリカ憎しとしても仕方ない。

 

資源を持たない国が生きていくのは大変だ。海から魚も捕れず、山は鉱山系が多いらしく食料的な資源には乏しい。まして、緯度も高いので気候も厳しい。

 

朝鮮式冷麺にはそうした国ならではの工夫がある。ひとつは唐辛子だ。寒さを凌ぐためのカプサイシンの摂取は朝鮮人にとっては遺伝子レベルで組み込まれた自然の摂理だったろう。

 

唐辛子と塩で保存食品を生み出したのも寒い地域を生き抜く人間の知恵だ。

 

何より驚かされたのは麺だ。あの剛麺はどうやって作っているのかと言えば、熱湯で練り上げているのだ。同じ事を日本でしても意味は無い。日本は北朝鮮に比べたら高温多湿で、麺生地を熟成させることが可能だ。中国は湖がアルカリ性の水だったおかげで小麦グルテンを強化することができた。

 

北朝鮮は寒い気候の中で粉を熱湯で練ることを発見した。そうすることによって短時間でグルテンを引き出し、食感の良い麺を作り上げた。

私もそんなに朝鮮料理のなんたるかは知らない。

 

だが、人間とは等しく存在する知恵を武器にした生物である。シリアで生まれようが南アフリカで生まれようが、北朝鮮で生まれようが、血と涙を流して頭を働かし額に汗して今を生きていることに変わりはない。

 

そういうことを料理を通して思うことがある。

 

先日、部下から[イタリアンとはなんだろう?と思うんです最近]とボソッと言われた。たかだか二年近い料理経験しかない彼だが、いろいろ料理を教えていくうちにそんな言葉が出るようになった。

 

どこの国の料理もよく考えて作られている。その土地の風土を、生活を、最大限に使って。イタリアンがフレンチが偉いわけではない。もちろんダメなわけもない。洗練された料理がそこにあるだけだ。

 

問題はそこからどんな背景を汲み取るかだと思う。料理からその国の人々を見透かすこともできるし、作ってくれた人の性格だってわかる。

 

そしてやはり料理は芸術ではないと私は思っている。

 

料理は誰でも作れる。作らなければ生きていけない。料理とはそういう生活の根幹であるのであって、芸術の類ではないと思う。もちろんお金を取るなら芸術的要素も不可欠だろう。けれどもそこに重きを置くべきではない。

 

料理に必要なのはその人のバイタリティ、人生そのものが現れてないといけないと思う。つまらない料理人の傲ったメシを食わされるくらいなら、コンビニメシの方が遥かに良く考えて作られている。

 

ホワイトハウスの料理人はトランプに冷麺を作ってやれば良いのにと思う。

 

ただまぁ、それでどうなるものでもないのも、確かだけど。

インフルエンサーとseishiro

朝方、出勤の傍らでYou tubeを見る日がある。

 

考え事を抱えているときは音楽すらかけないことも多い私の車内だが、朝は道も混んでいるので、気を紛らわすように何かの映像を流している。

 

乃木坂46のインフルエンサーという曲。

 

もう初老も近付くと音楽に対して目新しい感動は生まれない。そういう意味ではアイドルポップスを産み出し続ける秋元康という人がまず凄いなと思う。

 

インフルエンサーとは、消費者行動にまで影響力を持ちうる人物に対する言葉であるらしい。

 

曲はどこかで聴いたことのあるような、ラテン、ヒスパニック、ジプシー、歌謡曲を取り入れたような、ポップスらしいもので、衣装は黒さのある青を基調としてスタイリッシュでクールな雰囲気にまとめている。

 

何より注目したのは、踊りだ。おニャン子時代から比べたら、近年のアイドルの踊りは複雑になった。

 

横に揺れながら手を動かすだけの80年代アイドルは、もはや見るのすら恥ずかしくなるが、それを基礎にしてアイドルの世界はここまで進化したのだな、と思う。

 

インフルエンサーの踊りは、自分が若い頃に流行ったパラパラのコンテンポラリー版とでも言うか。

 

誰がこれを振り付けたのかなと調べたらseishiroというダンサーとわかった。

 

私はダンスというものには縁もなければ興味もさほどないが、表現という意味では学ぶべきものが多くある。

 

最近注目したのは宝塚と都をどりだ。

共に歴史があり、文化としての側面を大いに持っている。

 

この2つに共通しているのは、大人数が舞台で踊るという点である。宝塚の場合は宝塚歌劇団が、都をどりは八坂女紅場がその母体となり、踊り手を育成している。

 

どちらも商業として成立していて、エンターテイメントである。

 

その意味では、AKBや乃木坂も、この序列に加えてもおかしくはない。歴史が文化がどう評価するかは別として。

 

なぜそこに注目するかと言うと、つまりは素人の女の子を、エンターテイメントの表現者として成立させるためにかかる方法論とポイントが気になるわけである。

 

宝塚歌劇団の場合は、はっきりとした競争社会があるだろう。学校に入るまでも狭き門であり、そこからトップスターになれるのはごくわずかな人達だ。

 

都をどりは、もっと風俗に寄り添う形であろう。競争もあるだろうが、をどりが出来なくても、茶屋で頑張ればよいという芸娘もいるだろうし、皆が皆完璧な舞踊ができなくとも、文化的な意味あいも強いだろうから、許される部分もあるのではないか。

 

アイドルはもう少し立ち位置が曖昧だ。消費される最先端の文化にいながら、いつ消え行くともしれぬ我が身を案ずる暇もなく、中途半端も許されない、しかし学校のような組織に守られているわけでも、エンターテイメントを極めたいという欲求だけでもなく、何百年続く歴史に裏付けを得ているわけでもない、刹那の道化なのである。

 

それが、インフルエンサーではとんでもないダンスをさせられている。

 

いや、否定的な意味でなく素直に凄いなと思った。ーもちろん、seishiroのダンスを見たら乃木坂のダンスなんて何の比較にならないのは一目でわかる。

 

問題はいかにしてseishiroが乃木坂のために振り付けを考え、商業主義と迎合し、若きアイドルの女の子達のために噛み砕き妥協しながら、どこまでダンサーとしてのプライドも捨てなかったか、ということだと思う。

 

これは非常に重要な部分であると思う。

 

何かを伝える、教える、育てる。どこを削り、何を残し、どう繋ぐか。

 

いろいろな分野のプロがいる。一人ひとりの努力が全体として形になるためには、それぞれをつなぐものも重要で、ひとつひとつのピースの見極めも必要になるし、置く位置も戦略性が重要で、動かしてみなければわからないことも多い。

 

企業ならひとつのプロジェクトにある程度の人数もかけられるだろう。

 

でもきっと、そういう単純な時代では無くなっている。

 

だってアイドルにさえ、このレベルの表現力が求められる時代になっているのだから。

 

私は料理を通じて、何を伝えるべきなのだろう。

 

家族の死。

もうすぐ、家族が死ぬ。

 

家族と言っても、祖父だ。既に医師からは脳死の判定を受け、人工呼吸器によってのみ生かされている状態だ。

 

父方の祖父は私が小学生のときに亡くなった。小学四年くらいだったろうか。病院のベッドにいる祖父の手を握って、これがじいちゃんの手か、という記憶と、次の記憶は、鼻に綿を詰められて、棺桶に横たわるじいちゃんの顔しかない。

 

私の家庭は複雑だ。と言うと、父親が二人いるとか、腹違いの兄弟がいるとか、そういうことを想像するものだが、私の家の場合は少し違う。父親も母親も、家庭に問題を抱えていたのだろう、宗教に走っていたのだ。

 

今にして思えば、二人共が家庭環境への満たされない思いから共感を覚えて結婚したのかなとすら、思う。もちろんそれだけではないだろう。夫婦はそれほど単純ではなく、ある意味単純だ。

 

今回死ぬのは、母方の祖父だ。

 

父方の祖父が死んでから、私が父方の親戚と会うのはそれから13年後、父親が死んだときだ。そしてそれから15年が経つが、会うどころか一度も連絡を取ったことがない。

 

父には兄と姉がいたが、父が彼らを良く言うことはなかった。恐らく、祖父が死んだときに、遺産放棄したのも兄弟の確執があったからなのだろうとはずっと思っていた。

 

父は私が23歳の時に病死した。葬式には兄とその家族が来てくれたが、葬儀が終わって食事したときに、思い切って兄に聞いてみた。父とは何があったのかと。

 

兄は涼しい顔で何も無いよと言った。兄と父は顔がよく似ていた。だが、兄の涼しい顔は今でも良く覚えているが、あれは嘘を貫き通すときの人の顔だ。兄を悪く思っているのではない。色々事情はあったのだろう。

 

ただ私は知りたかっただけなのだが、何も教えてはもらえなかったし、姉に至っては葬儀に行く必要もなしと、ハナから相手にしなかったそうだ。

 

恐らくそこまで兄弟の袂を分けたものは、その原因はひとつではないだろうが、お金と宗教だろうと思う。父方の祖父も晩年はコンコン教に入ったと言われ、いわゆる狐憑きになった。何をするにもキツネに伺いを立て、その伺いに反すると怒ったものだ。

 

父の兄はそれでも一緒に住み、最期まで面倒を見た。私の父は末っ子で、自由に生きた人だった。それに対する嫉妬心のようなものも、なかったわけではないだろう。だが、当の父自身はきっと弱い人だった。兄のそういう気持ちを察するに至らず、分かり合う努力をしなかったのだろう、と今にして思う。

 

ようするに、私の父は家族から見限られていたのだ。

 

対して母は、家族との結束力は父より強かった。三姉妹の長女で、仲が非常に良い訳でもないが、連絡は取り合い、年に一度は皆が集まり、私も17歳まではそこに参加していた。

 

母方の場合、見限られていたのは祖父の方だった。祖父もまた末っ子で、父よりも遥かに好き勝手に生きた人だった。私は親族の中でも、最もその祖父に性格が似たと言われて育ったが、私はあそこまで破天荒な生き方はしていないと思う。

 

飲む打つ買うを地で行ったような人だった。

 

だからこそ、祖母はいつも泣かされてきたし、それを見て育った母は、自身も振り回されながら、妹二人を守る為に、祖母を支える為に、自分を犠牲にする人生だったのだろうと思う。

 

そこについては同情の余地もあるのだ。だが、頂けないのは、私を身籠った母が、とある宗教に入信したことだ。

 

エホバの証人という、キリスト教系カルトだ。私はお腹の中にいるときから聖書を読み聞かされ、生まれてからも教理を叩き込み続けられ、学校教育は否定され、とにかく世の中のあらゆるものが悪い事のように教えられて育った。

 

私はカルト宗教の英才教育を受けて育ったのだ。今はそれも自分のひとつの側面と受け入れているが、20代まではそうではなかった。

 

これが普通の家庭なら、宗教にハマった母親が総スカンをくらい、糾されるか離婚するかという問題に発展しようものだが、我が家の場合は違った。

 

父も、母の二人の妹も、祖母も、みんな揃って入信したのだ。私の家族は皆が熱心な信者となった。祖父だけが相手にしなかった。だから、祖父だけが相手にされなくなった。

 

破天荒な人だったから、それが出来たのだろう。相手にされようがされまいが、自分を貫き、したいことをして、死んでいく。

 

病院で寝ている祖父の姿は、父方の祖父より安らいで見える。私は孫として、祖父の生き方を理解している。孫だからこそ、直接被害もなかったし、性格も似ているからこそ、ととと人工呼吸器など外してあげればよいのに、と思う。

 

人間は弱い生き物だ。皆が何処かに誰かに心の拠り所を必要としている。母が宗教にハマったのも、母の家族がこぞって入信したのも、初老を手前にして今は理解できるし責めるつもりもさらさらない。

 

だが結局のところ、人は死に、人はそれまでの間苦しかろうが何だろうが生きていかねばならぬ。

 

宗教や恋愛やというものは、その辛い人生に付ける塗り薬のようなもので、その間少しだけ痛みは和らぐが、効き目が無くなればそれまでの儚いものだ。

 

幸い母と母の家族は、ずっと信仰心を保つことでその効力を維持してきた。なんならこのまま最期までそれでいてくれて私はかまわない。

 

だが、祖父は死に行こうとしている。祖母は半ばボケているようにも見えるが、祖父の死には延命はしないと医者に告げている。母は、そんな祖母を傍目に見ながら、ある意味冷静に祖父の死にゆく姿を見つめている。

 

思えば、母は父が死んだときも冷静であった。死んでもまた楽園で会えると信じているのだ。宗教があるから、父が死ぬ悲しみを乗り越えられたのかもしれない。

 

だが祖父はどうか。これまでのことを考えれば、祖父とは楽園で会う必要がない。祖父は入信しなかったから、宗教による救いは用意されていない。

 

母に祖父の死後どうするのかを問うても、具体的な答えは返ってこなかった。葬儀や相続問題など、具体的な問題は山ほどあるはずで、そのどれを問うても、まだ考えてないという。

 

私にはそういう人の気持ちはわからない。日頃から準備をしているので、私が母の立場なら、脳死判定の時点で呼吸器を外す決断を家族に承諾を得て回るだろう。

 

脳が死んでいるのだから、延命をする意味はない。放っておいて臓器不全を待つよりも、そっと逝かせて上げることの方が楽と思う。

 

脳が出血していた祖父は、3日前の集中治療室にいるときは脳が膨らむのを抑えるために全身を冷やされていた。私が腕に触ると、祖父は寒いのだろう、指先を震わせて硬直し始めた。

 

それから比べると今日は、顔も手もむくんでいたが安らかな表情だった。

 

母は自然に任せると言う。私は人工呼吸器が既に自然ではないのだよと思う。だが、人工呼吸器を外すという行為は、母にしてみれば父を殺すのと同義なのだろう。それは宗教上憚られることなのかもしれない。

 

なにせエホバの証人は輸血を禁じていることで有名だ。

 

人工呼吸器を外さずに、臓器不全を待つのは家族のエゴだと私は思う。だが同時にその時間も必要だとは思う。脳死と言われて、その時点でもう死んでいるのと同義なのだが、完全に呼吸も止まって、冷たくなってしまうのとは訳が違う。

 

効率的な考えからすれば、早く呼吸器を外す方が良い。だが家族の心の準備を考えれば、病室でまだ温かい身体のままでいる家族の死に向き合う時間は必要だとは思う。

 

宗教をもってしても、憎んだ親子関係を持ってしても、家族の死に対して向き合う時間というものは変わらないものなのかもしれない。

 

受け入れる時間が必要で、整理する時間が必要だ。

 

私は父が死んだときに、その死ぬ3日前から不穏な兆候はあったことを思い出す。私はそのときに父が死ぬ事を直感し、だから実際に死んだときも衝撃はそれほど受けなかった。ああそうか、やっぱりなという感じである。

 

そして冷静に対応し、葬儀の手配をした。

 

だが、それが終わって、ふと車に乗り込んだ瞬間、涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。きっと優しい父親だった。どこにでもいる、普通の人だった。少しだけ宗教にかぶれたが、それ以外はごく当たり前の人間だった。

 

車で泣いて、銭湯で2時間くらいボーッとして過ごした。

 

葬儀が終わり出棺を迎え、火葬場で父が荼毘に臥されるときも泣いたが、燃やされたあとの父を見て、ただのゴミになったと思った。灰になって初めて、いなくなったのだなぁと受け入れることができたのかもしれない。

 

今回もそうなのだ。祖父は楽しく生きた。私はそれを見送るだけで良い。悲しみもなければ、辛さもない。祖父の思い出を整理し、それを家族と分かち合い、荼毘に臥すのを見送る。

 

そういう一連の流れで、人は旅立ち、人はそれを受け入れる。

 

そう考えると儀式というものは非常に良く出来ている。

 

それもまた宗教のなせる業かと思えば、カルトだろうがイスラムだろうが何だろうが、そこについては悪い気はしない。

 

結局、それを信ずる人同士の問題なのだ。

 

私は生きている間全てを疑う。そしてそれこそを信じるしかない。その過程にこそ、答えがあると思っている。

 

祖父よ安らかに眠れ。

道脇裕という人。

NHKのプロフェッショナルという番組で、出ているのをたまたま見かけたので、眠いのを押して見てしまった。

 

そもそも去年か一昨年くらいにこの人の存在については知っていた。一般にはあまり知られているのかどうか、と思っていたが、プロフェッショナルに出るくらいなのでやはり耳目を置かれる存在なのだろう。

 

緩まないネジを作った人だ。しかも、ネジの螺旋構造を作り変えるという、案外思いつきそうで、誰も思いつかなかったもの。

 

どれだけの研究をしてきたのかと経歴を見れば、学歴は無い。東大工学部でもMITでもなく、中卒ですらないのだ。

 

小学校五年生で、社会のレールを降りている。

 

記憶の限りはそれでも、両親が学者だったように思う。

 

もちろん、素地はあったのだ。そういう意味で、非凡な才能は生まれながらにして持っていたのだろう。

 

問題は、それをどう使うかということだ。

 

この人が仮に小学校でドロップアウトせず、それなりの学歴を経て、社会に出ても普通の人より成功的な人生を歩んだのではないか、と私は思う。だがきっと、緩まないネジを発明することはなかっただろう。

 

非凡な才能は、平凡な社会に包まれることで、開花することはなかったかもしれない、というひとつの可能性だ。

 

なぜ、そう思うかと言うと、私自身も小学校五年、六年という時期が、ひとつの人生の起点、分岐点だったからだ。

 

道脇氏は小学校五年で、社会を見限った。このシステムに乗ってしまっては、自分の個性が無くなる、という理由で。

 

恐らく道脇氏と私は同世代なので、この世代に生きた人で似たような思いをしてきた人は一定数存在しているのではないかと思うし、今の若い世代はもっとそういう気持ちを抱えて生きているのではないかとも思う。

 

日本社会は成熟し、平凡は底上げされた。一億総中流と呼ばれる社会になり、義務教育で一般教養は共有され、文化水準も上がった時代に、私は幼少期を送った。

 

そこには戦中戦後の貧しさを生き抜いてきた、逞しいが野性的で下品とも呼べる民度の低い大人たちの、理想と現実が常に矛盾を伴いながらの氾濫していたのだ。

 

理想的な教育環境が整えられ、常識や価値観というものが宗教的にではなく統一、共有されつつも、旧態依然とした国民性やその弱さ脆さも数多く残っていた。

 

それが悪いと言いたいのではない。それはきっとどの時代にも当然だ。ガリレオの時代、天が動いていることを誰もが疑わなかった。誰かが証明し、それを誰かが認め、共有されて初めて、それが真実として受け入れられていく。

 

その過程で起きる誤差によって、多くの人の命が失われたり、多くの人の心を傷付けたり、多くの人がすれ違い、掛け違えるのはそれもまた自然なことであると私は思う。

 

だが多くの人はそれを受け入れようとはしない。

 

誤差に気付かないし、それを見ようともしないから。

 

小学校高学年のとき、私は達観していた。世の中のことを総てわかったような、ある種の勘違いをしていた。

 

それは純粋な意味では、いまでもそれほど間違っていないと思う。要するに世界の理というものは恐らく、至極単純明解で、それなりの教育水準があれば、小学生でも理解できるようなことなのだ。

 

だが、社会というのはそういう風にできてはいない。

 

小学生でも理解はできるだろう。だがそれを実現することにかかる犠牲や労力というものを測り切れていないのが、若さということだと思う。

 

私は疑い深い性格でこの世に生まれてきた。坂口安吾堕落論の中で、処女性に対する信仰を説いた。誰もが何らかの信仰を持つことで生きているのだと。

 

そう言われてみれば確かにそうだ。

 

科学も宗教も、家庭や親子や結婚や、仕事や社会や友達や、お金や相場やギャンブルというものが全て、何らかの形で信仰の対象になっている。

 

それを信仰しているという意識があるかないかは個人差もあるとして、皆、何らかの信仰を対象にして生存している。むしろ、そういう根拠のない生は、人間には少ないと思われる。むしろ人間はすべからく、信仰心を持たないはずはないと私は考える。

 

自然崇拝から始まり、人は何かにすがって生きている。それくらいの弱い存在なのだ。人間だけが、恐らく生存競争の自然の世界で、自分が食われる存在になることを嫌だと強く思っている。

 

動物も嫌だろうとは思っているが、人間ほどではないので、生存競争の過程で淘汰されることに疑問は抱いていないのだろう。彼らにはシンプルに生きるか死ぬかしかない。

 

人間は生と死の間に自我という中立がある。自分で考え、独立し、社会というものを形成し、お互いに存在を認め合い、助け合うことで人間という種を存続させることができる。

 

だが、その知性が逆に、人を破滅に向かわせる。動物なら選択するはずはない、自殺という概念である。

 

道脇氏は小学生で社会の引いたレールを外れる。そして19歳になって、改めて自分の人生を考えたときに、そのレールがどういう意味を持っていたかに気付く。そして、自動車の事故でネジの可能性に発想をひらめくのだ。

 

それまで社会と乖離していた自分の個性が、そうやって何かのきっかけを通して、社会との道を、接点を見つけていく。

 

その過程では必ず人は死ということに向き合わざるを得ない。社会との繋がり無くして、人の個としての存在は無意味だからだ。強烈な個性としてのバイタリティがない限り、無意味でしかない。

 

それは、教育水準が成せる業なのではないかとこの頃思う。宗教は強烈だ。人の心を吸い寄せ、浄化する。純粋な理念を、人の原動力に直接リンクして、生死という概念も超えて、人を動かしていく力を持つ。

 

ところが教育にはそこまでの力はない。相対的だからだ。宗教は絶対的な存在である。絶対的な物のほうがわかりやすく、簡単だから、人はそれを受け入れやすい。

 

だが教育はそうではない。社会というものが存在することの意味と、その中で人間が実現していくべき理想への可能性というものを証明していく過程なのだ。

 

科学にはまだまだ未知の分野、不確定の部分も多い。

 

だから人が生きる意味なんて本当のところ答えがない。だから人生は皆、思い悩む時期が誰しもある。

 

その、思い悩むことこそ人間の本質だと思う。

 

そして、思い悩んだ末に、死ぬくらいの覚悟で社会の外に出た人間こそが、初めて世界を俯瞰できるのではないかと思う。

 

世界を見た気になっている人、知っているつもりになっている人が多いが、それは知識の断片に過ぎない。何故なら、現実的にそれを全て見ることは不可能なのだ。

 

世界を俯瞰できたとして、それが世界を知るということではない。だが少なくとも、世界の大きさを知ることはできるのかもしれない。

 

私は小学生のときの世界を達観して知ってしまったような勘違いをした。そして17歳で信仰心を捨てた。その時初めて、信仰心のない世界で生きる恐ろしさと絶望感を知った。

 

信仰の対象がない人生など有り得ない。昨今は無神論者でさえ、神のいない世界を危惧している。信仰のない世界とはつまり、無秩序なのだ。

 

私はそのとめどない世界の片鱗、深淵の絶望感を一般の人よりは知っている。だが、代わりに信仰すべきものを、なかなか見つけられなかった。

 

今は、随分歳を重ねて、ようやく自分なりの信仰があることに気付いた。

 

私は恐らく、全てを疑い、全てを失っても残るかもしれない何かを信仰しているのだ。それは結局、自分の中にあり、誰かの中にあり、社会にもあるものだ。

 

絶対的でありながら、非常に相対的な存在である。

 

私はそれを神のように崇めることはなく、とはいえ貶すこともない。相対的なので、自分が持っているものが失われても、また別の何かが取って代わることができる。

 

私にはたまたま料理があった。道脇氏にはネジがあった。道脇氏の方がピンポイントで、私はもっと漠然として曖昧だが、無味蒙古でもない。

 

皆それぞれ、何かを持っている。それは比較すれば、何らかの差異は出てくるものだ。

 

それでいいのに、と思う。

 

そして、それをどう使うか、どう広げていくか、どう実現していくか、そういうことに時間を使うべきだ。

 

私は私。他人は所詮他人。だが、他人は必要な存在で、誰かのために何かをすることで、私は同じように必要とされるはずだ。

 

だから私は生存する。

 

ただそれだけのことに価値を見いだせないとすれば、まだ世界はおろか、自分のことすら見えていないか、見ようともしていないのである。

 

私はそう思う。

 

 

距離感。

距離感とは、人との間で測るものだろうと思う。

 

自分と相手との距離感は、親密さや信頼をそのまま現すものである。

大人になると、その距離の測り方が難しくなるような気がする。

 

自分だけのことなら、自分の思うがままでよい。

 

だが、周りの人や、家族や同僚が、と歳を取るごとに大切な人は増えていく。

 

娘が全身入墨のヤクザと結婚したいといい出したら?

同僚がとんでもない汚職事件に巻き込まれたら?

親の友達が新興宗教にハマって自分の親熱心に勧誘していたら?

 

大切な人が、そうではない人とつながりを持つことや、裏切られたような気持ちにさせられるくらい別人になってしまうことは無いことではない。

 

多くの人が、結局のところ結果だけでモノを言う。

つまり、起きてから気付く。

 

娘が良くない彼氏と付き合っているかもしれないことに気が付かず、結婚を決めてからでは手遅れなのだ。

 

これはつまり、距離感ということで言えば、実に一方的な距離感だと思われる。

 

娘は大事だろう。親からすれば距離感としては他の誰よりも近いと思っているはずだ。

 

だが、良くない彼氏ができた時点で気が付かなかった時点で距離は離れてしまったのだ。

 

そう思わざるを得ない。

 

私はこうした距離感を料理にも感じる。

 

離れていった素材や味や火加減は、全く同じように戻すことはできない。

 

料理とは、皮を剥くようなところから地道に始まる。野菜の皮を向いた瞬間から、その素材は崩壊を続ける。水分が失われ、風味が失われ、腐敗が進んでいき、そのまま放置していれば食べられないものになってしまう。

 

家庭ではそこまでとは言わないかもしれないが、1日何十人何百人のために料理をするとなれば、目の届かない素材も出てくれば、ほんの少し発注を間違えて、暇な時期とタイミングが重なって、素材を使い切れないとか、賞味期限が間に合わないとか、そういうことはよくあるわけで。

 

捨ててしまうのは簡単だ。食べられないものは客に出せないのだから、捨てるしかないのかもしれない。

 

だが、私はそれが料理人の行動として正しいと思えぬ。

 

いかにしてロスなく作り、最も効率的な方法で味付けをし、なるべく出来立てのものを供するか、そういうことに心を砕き続けることが料理人として必要な資質と思っている。

 

素材との距離感。付かず離れず、あらゆる素材を目につく範囲で把握し続けること。最近は、それがそのまま人間関係にも適用できるのかな、と思えてきた。

 

もちろん、まだまだ不十分である。

 

私はずっと、食材は嘘をつかぬことが信条であった。人は嘘をつくが、食材はそうではない。素材を見つめ続ければ、それは自ずと声を発し、それに応えれば、それなりに輝いてくれる。

 

手をかければ美味しくなり、手を抜けばそれなりの味になり、つまりそれは自分が積み上げておりさえすれば、自然とそのようになるものなのである。

 

しかし人はそうはいかない。大丈夫かと聞いても、本当に大丈夫かそうでないかはわからないものだ。人は嘘をつくからだ。

 

私はそれがどうしても嫌だった。

だから料理の世界に没頭することで自分を保ててきたのかもしれないとさえ、思う。

 

今はどうだ。食材は今も嘘をつかぬ。だが人は、嘘もつくが隠すこともごまかすこともあるが、なあに、人はただ生きているのだと思う。

 

その意味では食材と同じなのだ。

 

やがては死ぬ。腐敗してどろどろになり土に還るのだ。

 

競馬でジョッキーがこんなことを言う。馬と話ができれば良いのに、と。だが彼らはそれでも馬と生きている道を選んで今日も馬に跨り、言語的な会話はできないが、馬と自分との距離感の中であらゆることを洞察しているに違いない。

 

私もそうだ。食材と常に対峙している。人とは、対峙してこなかっただけなのかもしれない。

 

この歳になってようやくそんなことに気付く。人間関係が苦手だと思っていたのは自分の弱い心であって、苦手とか得意とかは関係ない、自分が他人との距離感をしっかり見通せず、他人との折り合いをつけることを避けてみたり、甘えてみたり、適当にあしらった結果として、自分が嫌な思いをしたことに対して、苦手だと勝手に思い込んでいただけなのだ。

 

食材なら何も言わないから、自分で考える。ところが相手が人間だから、どうしても求めてしまうじゃあないか。

 

食材と人とは、実は同じなのかもしれない。ほんの少しでもいいから、ちゃんと観察して耳を傾けるだけでも違ってくるのだろう。

 

それをしない人はいつまでも子供のまま、動物のままなのだ。