家族の死。

もうすぐ、家族が死ぬ。

 

家族と言っても、祖父だ。既に医師からは脳死の判定を受け、人工呼吸器によってのみ生かされている状態だ。

 

父方の祖父は私が小学生のときに亡くなった。小学四年くらいだったろうか。病院のベッドにいる祖父の手を握って、これがじいちゃんの手か、という記憶と、次の記憶は、鼻に綿を詰められて、棺桶に横たわるじいちゃんの顔しかない。

 

私の家庭は複雑だ。と言うと、父親が二人いるとか、腹違いの兄弟がいるとか、そういうことを想像するものだが、私の家の場合は少し違う。父親も母親も、家庭に問題を抱えていたのだろう、宗教に走っていたのだ。

 

今にして思えば、二人共が家庭環境への満たされない思いから共感を覚えて結婚したのかなとすら、思う。もちろんそれだけではないだろう。夫婦はそれほど単純ではなく、ある意味単純だ。

 

今回死ぬのは、母方の祖父だ。

 

父方の祖父が死んでから、私が父方の親戚と会うのはそれから13年後、父親が死んだときだ。そしてそれから15年が経つが、会うどころか一度も連絡を取ったことがない。

 

父には兄と姉がいたが、父が彼らを良く言うことはなかった。恐らく、祖父が死んだときに、遺産放棄したのも兄弟の確執があったからなのだろうとはずっと思っていた。

 

父は私が23歳の時に病死した。葬式には兄とその家族が来てくれたが、葬儀が終わって食事したときに、思い切って兄に聞いてみた。父とは何があったのかと。

 

兄は涼しい顔で何も無いよと言った。兄と父は顔がよく似ていた。だが、兄の涼しい顔は今でも良く覚えているが、あれは嘘を貫き通すときの人の顔だ。兄を悪く思っているのではない。色々事情はあったのだろう。

 

ただ私は知りたかっただけなのだが、何も教えてはもらえなかったし、姉に至っては葬儀に行く必要もなしと、ハナから相手にしなかったそうだ。

 

恐らくそこまで兄弟の袂を分けたものは、その原因はひとつではないだろうが、お金と宗教だろうと思う。父方の祖父も晩年はコンコン教に入ったと言われ、いわゆる狐憑きになった。何をするにもキツネに伺いを立て、その伺いに反すると怒ったものだ。

 

父の兄はそれでも一緒に住み、最期まで面倒を見た。私の父は末っ子で、自由に生きた人だった。それに対する嫉妬心のようなものも、なかったわけではないだろう。だが、当の父自身はきっと弱い人だった。兄のそういう気持ちを察するに至らず、分かり合う努力をしなかったのだろう、と今にして思う。

 

ようするに、私の父は家族から見限られていたのだ。

 

対して母は、家族との結束力は父より強かった。三姉妹の長女で、仲が非常に良い訳でもないが、連絡は取り合い、年に一度は皆が集まり、私も17歳まではそこに参加していた。

 

母方の場合、見限られていたのは祖父の方だった。祖父もまた末っ子で、父よりも遥かに好き勝手に生きた人だった。私は親族の中でも、最もその祖父に性格が似たと言われて育ったが、私はあそこまで破天荒な生き方はしていないと思う。

 

飲む打つ買うを地で行ったような人だった。

 

だからこそ、祖母はいつも泣かされてきたし、それを見て育った母は、自身も振り回されながら、妹二人を守る為に、祖母を支える為に、自分を犠牲にする人生だったのだろうと思う。

 

そこについては同情の余地もあるのだ。だが、頂けないのは、私を身籠った母が、とある宗教に入信したことだ。

 

エホバの証人という、キリスト教系カルトだ。私はお腹の中にいるときから聖書を読み聞かされ、生まれてからも教理を叩き込み続けられ、学校教育は否定され、とにかく世の中のあらゆるものが悪い事のように教えられて育った。

 

私はカルト宗教の英才教育を受けて育ったのだ。今はそれも自分のひとつの側面と受け入れているが、20代まではそうではなかった。

 

これが普通の家庭なら、宗教にハマった母親が総スカンをくらい、糾されるか離婚するかという問題に発展しようものだが、我が家の場合は違った。

 

父も、母の二人の妹も、祖母も、みんな揃って入信したのだ。私の家族は皆が熱心な信者となった。祖父だけが相手にしなかった。だから、祖父だけが相手にされなくなった。

 

破天荒な人だったから、それが出来たのだろう。相手にされようがされまいが、自分を貫き、したいことをして、死んでいく。

 

病院で寝ている祖父の姿は、父方の祖父より安らいで見える。私は孫として、祖父の生き方を理解している。孫だからこそ、直接被害もなかったし、性格も似ているからこそ、ととと人工呼吸器など外してあげればよいのに、と思う。

 

人間は弱い生き物だ。皆が何処かに誰かに心の拠り所を必要としている。母が宗教にハマったのも、母の家族がこぞって入信したのも、初老を手前にして今は理解できるし責めるつもりもさらさらない。

 

だが結局のところ、人は死に、人はそれまでの間苦しかろうが何だろうが生きていかねばならぬ。

 

宗教や恋愛やというものは、その辛い人生に付ける塗り薬のようなもので、その間少しだけ痛みは和らぐが、効き目が無くなればそれまでの儚いものだ。

 

幸い母と母の家族は、ずっと信仰心を保つことでその効力を維持してきた。なんならこのまま最期までそれでいてくれて私はかまわない。

 

だが、祖父は死に行こうとしている。祖母は半ばボケているようにも見えるが、祖父の死には延命はしないと医者に告げている。母は、そんな祖母を傍目に見ながら、ある意味冷静に祖父の死にゆく姿を見つめている。

 

思えば、母は父が死んだときも冷静であった。死んでもまた楽園で会えると信じているのだ。宗教があるから、父が死ぬ悲しみを乗り越えられたのかもしれない。

 

だが祖父はどうか。これまでのことを考えれば、祖父とは楽園で会う必要がない。祖父は入信しなかったから、宗教による救いは用意されていない。

 

母に祖父の死後どうするのかを問うても、具体的な答えは返ってこなかった。葬儀や相続問題など、具体的な問題は山ほどあるはずで、そのどれを問うても、まだ考えてないという。

 

私にはそういう人の気持ちはわからない。日頃から準備をしているので、私が母の立場なら、脳死判定の時点で呼吸器を外す決断を家族に承諾を得て回るだろう。

 

脳が死んでいるのだから、延命をする意味はない。放っておいて臓器不全を待つよりも、そっと逝かせて上げることの方が楽と思う。

 

脳が出血していた祖父は、3日前の集中治療室にいるときは脳が膨らむのを抑えるために全身を冷やされていた。私が腕に触ると、祖父は寒いのだろう、指先を震わせて硬直し始めた。

 

それから比べると今日は、顔も手もむくんでいたが安らかな表情だった。

 

母は自然に任せると言う。私は人工呼吸器が既に自然ではないのだよと思う。だが、人工呼吸器を外すという行為は、母にしてみれば父を殺すのと同義なのだろう。それは宗教上憚られることなのかもしれない。

 

なにせエホバの証人は輸血を禁じていることで有名だ。

 

人工呼吸器を外さずに、臓器不全を待つのは家族のエゴだと私は思う。だが同時にその時間も必要だとは思う。脳死と言われて、その時点でもう死んでいるのと同義なのだが、完全に呼吸も止まって、冷たくなってしまうのとは訳が違う。

 

効率的な考えからすれば、早く呼吸器を外す方が良い。だが家族の心の準備を考えれば、病室でまだ温かい身体のままでいる家族の死に向き合う時間は必要だとは思う。

 

宗教をもってしても、憎んだ親子関係を持ってしても、家族の死に対して向き合う時間というものは変わらないものなのかもしれない。

 

受け入れる時間が必要で、整理する時間が必要だ。

 

私は父が死んだときに、その死ぬ3日前から不穏な兆候はあったことを思い出す。私はそのときに父が死ぬ事を直感し、だから実際に死んだときも衝撃はそれほど受けなかった。ああそうか、やっぱりなという感じである。

 

そして冷静に対応し、葬儀の手配をした。

 

だが、それが終わって、ふと車に乗り込んだ瞬間、涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。きっと優しい父親だった。どこにでもいる、普通の人だった。少しだけ宗教にかぶれたが、それ以外はごく当たり前の人間だった。

 

車で泣いて、銭湯で2時間くらいボーッとして過ごした。

 

葬儀が終わり出棺を迎え、火葬場で父が荼毘に臥されるときも泣いたが、燃やされたあとの父を見て、ただのゴミになったと思った。灰になって初めて、いなくなったのだなぁと受け入れることができたのかもしれない。

 

今回もそうなのだ。祖父は楽しく生きた。私はそれを見送るだけで良い。悲しみもなければ、辛さもない。祖父の思い出を整理し、それを家族と分かち合い、荼毘に臥すのを見送る。

 

そういう一連の流れで、人は旅立ち、人はそれを受け入れる。

 

そう考えると儀式というものは非常に良く出来ている。

 

それもまた宗教のなせる業かと思えば、カルトだろうがイスラムだろうが何だろうが、そこについては悪い気はしない。

 

結局、それを信ずる人同士の問題なのだ。

 

私は生きている間全てを疑う。そしてそれこそを信じるしかない。その過程にこそ、答えがあると思っている。

 

祖父よ安らかに眠れ。

道脇裕という人。

NHKのプロフェッショナルという番組で、出ているのをたまたま見かけたので、眠いのを押して見てしまった。

 

そもそも去年か一昨年くらいにこの人の存在については知っていた。一般にはあまり知られているのかどうか、と思っていたが、プロフェッショナルに出るくらいなのでやはり耳目を置かれる存在なのだろう。

 

緩まないネジを作った人だ。しかも、ネジの螺旋構造を作り変えるという、案外思いつきそうで、誰も思いつかなかったもの。

 

どれだけの研究をしてきたのかと経歴を見れば、学歴は無い。東大工学部でもMITでもなく、中卒ですらないのだ。

 

小学校五年生で、社会のレールを降りている。

 

記憶の限りはそれでも、両親が学者だったように思う。

 

もちろん、素地はあったのだ。そういう意味で、非凡な才能は生まれながらにして持っていたのだろう。

 

問題は、それをどう使うかということだ。

 

この人が仮に小学校でドロップアウトせず、それなりの学歴を経て、社会に出ても普通の人より成功的な人生を歩んだのではないか、と私は思う。だがきっと、緩まないネジを発明することはなかっただろう。

 

非凡な才能は、平凡な社会に包まれることで、開花することはなかったかもしれない、というひとつの可能性だ。

 

なぜ、そう思うかと言うと、私自身も小学校五年、六年という時期が、ひとつの人生の起点、分岐点だったからだ。

 

道脇氏は小学校五年で、社会を見限った。このシステムに乗ってしまっては、自分の個性が無くなる、という理由で。

 

恐らく道脇氏と私は同世代なので、この世代に生きた人で似たような思いをしてきた人は一定数存在しているのではないかと思うし、今の若い世代はもっとそういう気持ちを抱えて生きているのではないかとも思う。

 

日本社会は成熟し、平凡は底上げされた。一億総中流と呼ばれる社会になり、義務教育で一般教養は共有され、文化水準も上がった時代に、私は幼少期を送った。

 

そこには戦中戦後の貧しさを生き抜いてきた、逞しいが野性的で下品とも呼べる民度の低い大人たちの、理想と現実が常に矛盾を伴いながらの氾濫していたのだ。

 

理想的な教育環境が整えられ、常識や価値観というものが宗教的にではなく統一、共有されつつも、旧態依然とした国民性やその弱さ脆さも数多く残っていた。

 

それが悪いと言いたいのではない。それはきっとどの時代にも当然だ。ガリレオの時代、天が動いていることを誰もが疑わなかった。誰かが証明し、それを誰かが認め、共有されて初めて、それが真実として受け入れられていく。

 

その過程で起きる誤差によって、多くの人の命が失われたり、多くの人の心を傷付けたり、多くの人がすれ違い、掛け違えるのはそれもまた自然なことであると私は思う。

 

だが多くの人はそれを受け入れようとはしない。

 

誤差に気付かないし、それを見ようともしないから。

 

小学校高学年のとき、私は達観していた。世の中のことを総てわかったような、ある種の勘違いをしていた。

 

それは純粋な意味では、いまでもそれほど間違っていないと思う。要するに世界の理というものは恐らく、至極単純明解で、それなりの教育水準があれば、小学生でも理解できるようなことなのだ。

 

だが、社会というのはそういう風にできてはいない。

 

小学生でも理解はできるだろう。だがそれを実現することにかかる犠牲や労力というものを測り切れていないのが、若さということだと思う。

 

私は疑い深い性格でこの世に生まれてきた。坂口安吾堕落論の中で、処女性に対する信仰を説いた。誰もが何らかの信仰を持つことで生きているのだと。

 

そう言われてみれば確かにそうだ。

 

科学も宗教も、家庭や親子や結婚や、仕事や社会や友達や、お金や相場やギャンブルというものが全て、何らかの形で信仰の対象になっている。

 

それを信仰しているという意識があるかないかは個人差もあるとして、皆、何らかの信仰を対象にして生存している。むしろ、そういう根拠のない生は、人間には少ないと思われる。むしろ人間はすべからく、信仰心を持たないはずはないと私は考える。

 

自然崇拝から始まり、人は何かにすがって生きている。それくらいの弱い存在なのだ。人間だけが、恐らく生存競争の自然の世界で、自分が食われる存在になることを嫌だと強く思っている。

 

動物も嫌だろうとは思っているが、人間ほどではないので、生存競争の過程で淘汰されることに疑問は抱いていないのだろう。彼らにはシンプルに生きるか死ぬかしかない。

 

人間は生と死の間に自我という中立がある。自分で考え、独立し、社会というものを形成し、お互いに存在を認め合い、助け合うことで人間という種を存続させることができる。

 

だが、その知性が逆に、人を破滅に向かわせる。動物なら選択するはずはない、自殺という概念である。

 

道脇氏は小学生で社会の引いたレールを外れる。そして19歳になって、改めて自分の人生を考えたときに、そのレールがどういう意味を持っていたかに気付く。そして、自動車の事故でネジの可能性に発想をひらめくのだ。

 

それまで社会と乖離していた自分の個性が、そうやって何かのきっかけを通して、社会との道を、接点を見つけていく。

 

その過程では必ず人は死ということに向き合わざるを得ない。社会との繋がり無くして、人の個としての存在は無意味だからだ。強烈な個性としてのバイタリティがない限り、無意味でしかない。

 

それは、教育水準が成せる業なのではないかとこの頃思う。宗教は強烈だ。人の心を吸い寄せ、浄化する。純粋な理念を、人の原動力に直接リンクして、生死という概念も超えて、人を動かしていく力を持つ。

 

ところが教育にはそこまでの力はない。相対的だからだ。宗教は絶対的な存在である。絶対的な物のほうがわかりやすく、簡単だから、人はそれを受け入れやすい。

 

だが教育はそうではない。社会というものが存在することの意味と、その中で人間が実現していくべき理想への可能性というものを証明していく過程なのだ。

 

科学にはまだまだ未知の分野、不確定の部分も多い。

 

だから人が生きる意味なんて本当のところ答えがない。だから人生は皆、思い悩む時期が誰しもある。

 

その、思い悩むことこそ人間の本質だと思う。

 

そして、思い悩んだ末に、死ぬくらいの覚悟で社会の外に出た人間こそが、初めて世界を俯瞰できるのではないかと思う。

 

世界を見た気になっている人、知っているつもりになっている人が多いが、それは知識の断片に過ぎない。何故なら、現実的にそれを全て見ることは不可能なのだ。

 

世界を俯瞰できたとして、それが世界を知るということではない。だが少なくとも、世界の大きさを知ることはできるのかもしれない。

 

私は小学生のときの世界を達観して知ってしまったような勘違いをした。そして17歳で信仰心を捨てた。その時初めて、信仰心のない世界で生きる恐ろしさと絶望感を知った。

 

信仰の対象がない人生など有り得ない。昨今は無神論者でさえ、神のいない世界を危惧している。信仰のない世界とはつまり、無秩序なのだ。

 

私はそのとめどない世界の片鱗、深淵の絶望感を一般の人よりは知っている。だが、代わりに信仰すべきものを、なかなか見つけられなかった。

 

今は、随分歳を重ねて、ようやく自分なりの信仰があることに気付いた。

 

私は恐らく、全てを疑い、全てを失っても残るかもしれない何かを信仰しているのだ。それは結局、自分の中にあり、誰かの中にあり、社会にもあるものだ。

 

絶対的でありながら、非常に相対的な存在である。

 

私はそれを神のように崇めることはなく、とはいえ貶すこともない。相対的なので、自分が持っているものが失われても、また別の何かが取って代わることができる。

 

私にはたまたま料理があった。道脇氏にはネジがあった。道脇氏の方がピンポイントで、私はもっと漠然として曖昧だが、無味蒙古でもない。

 

皆それぞれ、何かを持っている。それは比較すれば、何らかの差異は出てくるものだ。

 

それでいいのに、と思う。

 

そして、それをどう使うか、どう広げていくか、どう実現していくか、そういうことに時間を使うべきだ。

 

私は私。他人は所詮他人。だが、他人は必要な存在で、誰かのために何かをすることで、私は同じように必要とされるはずだ。

 

だから私は生存する。

 

ただそれだけのことに価値を見いだせないとすれば、まだ世界はおろか、自分のことすら見えていないか、見ようともしていないのである。

 

私はそう思う。

 

 

距離感。

距離感とは、人との間で測るものだろうと思う。

 

自分と相手との距離感は、親密さや信頼をそのまま現すものである。

大人になると、その距離の測り方が難しくなるような気がする。

 

自分だけのことなら、自分の思うがままでよい。

 

だが、周りの人や、家族や同僚が、と歳を取るごとに大切な人は増えていく。

 

娘が全身入墨のヤクザと結婚したいといい出したら?

同僚がとんでもない汚職事件に巻き込まれたら?

親の友達が新興宗教にハマって自分の親熱心に勧誘していたら?

 

大切な人が、そうではない人とつながりを持つことや、裏切られたような気持ちにさせられるくらい別人になってしまうことは無いことではない。

 

多くの人が、結局のところ結果だけでモノを言う。

つまり、起きてから気付く。

 

娘が良くない彼氏と付き合っているかもしれないことに気が付かず、結婚を決めてからでは手遅れなのだ。

 

これはつまり、距離感ということで言えば、実に一方的な距離感だと思われる。

 

娘は大事だろう。親からすれば距離感としては他の誰よりも近いと思っているはずだ。

 

だが、良くない彼氏ができた時点で気が付かなかった時点で距離は離れてしまったのだ。

 

そう思わざるを得ない。

 

私はこうした距離感を料理にも感じる。

 

離れていった素材や味や火加減は、全く同じように戻すことはできない。

 

料理とは、皮を剥くようなところから地道に始まる。野菜の皮を向いた瞬間から、その素材は崩壊を続ける。水分が失われ、風味が失われ、腐敗が進んでいき、そのまま放置していれば食べられないものになってしまう。

 

家庭ではそこまでとは言わないかもしれないが、1日何十人何百人のために料理をするとなれば、目の届かない素材も出てくれば、ほんの少し発注を間違えて、暇な時期とタイミングが重なって、素材を使い切れないとか、賞味期限が間に合わないとか、そういうことはよくあるわけで。

 

捨ててしまうのは簡単だ。食べられないものは客に出せないのだから、捨てるしかないのかもしれない。

 

だが、私はそれが料理人の行動として正しいと思えぬ。

 

いかにしてロスなく作り、最も効率的な方法で味付けをし、なるべく出来立てのものを供するか、そういうことに心を砕き続けることが料理人として必要な資質と思っている。

 

素材との距離感。付かず離れず、あらゆる素材を目につく範囲で把握し続けること。最近は、それがそのまま人間関係にも適用できるのかな、と思えてきた。

 

もちろん、まだまだ不十分である。

 

私はずっと、食材は嘘をつかぬことが信条であった。人は嘘をつくが、食材はそうではない。素材を見つめ続ければ、それは自ずと声を発し、それに応えれば、それなりに輝いてくれる。

 

手をかければ美味しくなり、手を抜けばそれなりの味になり、つまりそれは自分が積み上げておりさえすれば、自然とそのようになるものなのである。

 

しかし人はそうはいかない。大丈夫かと聞いても、本当に大丈夫かそうでないかはわからないものだ。人は嘘をつくからだ。

 

私はそれがどうしても嫌だった。

だから料理の世界に没頭することで自分を保ててきたのかもしれないとさえ、思う。

 

今はどうだ。食材は今も嘘をつかぬ。だが人は、嘘もつくが隠すこともごまかすこともあるが、なあに、人はただ生きているのだと思う。

 

その意味では食材と同じなのだ。

 

やがては死ぬ。腐敗してどろどろになり土に還るのだ。

 

競馬でジョッキーがこんなことを言う。馬と話ができれば良いのに、と。だが彼らはそれでも馬と生きている道を選んで今日も馬に跨り、言語的な会話はできないが、馬と自分との距離感の中であらゆることを洞察しているに違いない。

 

私もそうだ。食材と常に対峙している。人とは、対峙してこなかっただけなのかもしれない。

 

この歳になってようやくそんなことに気付く。人間関係が苦手だと思っていたのは自分の弱い心であって、苦手とか得意とかは関係ない、自分が他人との距離感をしっかり見通せず、他人との折り合いをつけることを避けてみたり、甘えてみたり、適当にあしらった結果として、自分が嫌な思いをしたことに対して、苦手だと勝手に思い込んでいただけなのだ。

 

食材なら何も言わないから、自分で考える。ところが相手が人間だから、どうしても求めてしまうじゃあないか。

 

食材と人とは、実は同じなのかもしれない。ほんの少しでもいいから、ちゃんと観察して耳を傾けるだけでも違ってくるのだろう。

 

それをしない人はいつまでも子供のまま、動物のままなのだ。

今更ながらライブドア、ホリエモン。

ライブドア事件が起きたのはもう10年も前の事か。

 

10年前と言えば私は経営者だった。

12坪ほどの広さの店で、やりたいことをやっていた。

 

ホリエモン時代の寵児だった。うちの店の常連でIT関連の人はまず、ホリエモンを崇拝していた。今もそうなのかもしれないがあの頃のシステムエンジニアと言えば聞こえは良いが、労働環境は劣悪だった。

 

残業がどうのと言えるレベルではない労働時間。3日4日会社にいることはザラだったし、営業先で倒れる事案もあった。ヒルズではない、地方の都市でそれだったのだから、ライブドアのような先鋭企業の中の人たちはもっと大変だったろうに違いない。

 

もちろん、それが決して良い事ではない。労働時間が守られず、無茶な納期が横行し、ましてや企業のトップが証券取引法違反で逮捕となれば、普通の感覚でいけばブラック企業以外何物でもない。

 

だが、それは悪いことだったのだろうか。

 

あの頃の自分が間近に見ていたIT土方の人達と、逮捕されて地に落ちたホリエモンと、ライブドアという企業とを見比べて行くと、本当に悪いのは誰だったのだろうか、と思う。

 

 

ライブドア事件はつまり、自社株を利用した企業買収による自社株の価格釣り上げによって利益を出したことが粉飾決算だとして違法と断ぜられた事件なのだろう。

 

ネズミ講は、次々に顧客が増える事で無限に儲かるシステムと言うことが詐欺みたくなるわけで、ライブドア事件も要は自社株で買っても自社株の価値が上がるので買えば買うほど時価総額が上がっていくという方式に見えなくも無い。

 

そして、実際にはニッポン放送との買付けトラブルから、ライブドア事件の表面化が始まったのかなぁ、と思う。

 

つまり、ネズミ講で言えば有限が見えた、ライブドアのやり方に世間がNoを突きつけたわけである。

 

だが、その当時から私は疑問だった。そもそもホリエモン時代の寵児だったし、ライブドアは急成長した最も新しい企業だった。

 

出るものは打たれる、日本社会の歪な構造がはっきりと目に見えた瞬間だった。

 

私はいつか、この事件は評価が変わる日が来ると思っていた。

 

現在、その評価が変わったかどうかはまだわからない。

 

だが、確実に言えることはある。ライブドアという企業はあれほどの事件が起きて、社長がいなくなっても生き残り、LINEに吸収されたものの、今や1兆円規模で上場を果たしている。

 

ホリエモンは逮捕され二年近く収監されたが、今もなお活動を続けていて発信力と影響力を持ち続けている。

 

私のロングスパンで考え続けている疑問のひとつに‹いなくなっても残るシステムを作る経営者と、その人しかできないが1代でとんでもない収益を上げる会社を作る経営者はどっちが偉いのか›というものがあるが、実はホリエモンというのはこの両方を実現した人なのではないかと今になったら思う。

 

もしくは、先見の明が優れていただけなのかもしれないが。

 

ライブドアが自社株の成長力を利用して企業買収により株価を操作したと言えばそうなるし、そもそも成長力というのは信用力なのだから、それだけ引きつけられる事業内容があったということに他ならず、事実強制捜査があったときも、ライブドア自体にはキャッシュが大量にあったので、時価総額が急落しても、倒産という事態にはならなかった。

 

そのことだけを見ても、ライブドアという企業が凄まじい実体を伴う成長をしていたことがわかる。

 

粉飾というのはほとんど詐欺に近い。ないものを有るように見せたり、あるものを無いように見せたりすることだ。豊田商事は嘘の証券を売って人を騙し、会長は最後は惨殺されたがその時の所持金は数百円だったらしい。

 

ライブドアはどうだったのか。少なくとも、完全な詐欺ではなかった。逮捕されても何億円も保釈金を払えたし、会社が潰れることもなかった。金があったのだ。

 

インチキをして金を稼いだようにも思われているが、そういうやり方があったことを誰も気付かなっただけとも言える。

 

だが、例えば城下町の整備に尽力を注いだ織田信長は、経営者として今高く評価されている。次々に築城し、そこに町を作ることで商売の流れを作り、収税を上げていたのだ。

 

これは自然な流れではない。明らかに戦略的で、利益を誘導するために投資して更なる利益を得る上手いやり方だ。

 

ライブドアの企業買収も、結局は似たようなものだと私は思う。企業を買収して大きくなるほど、信用力が増して株価も上がる。ただ、それをどの時点で決算として報告するかを問題視されただけで、言わば言いがかりに近い気もする。

 

ホリエモンが逮捕されたとき、私の知るIT土方の人は「夢が無くなるなぁ」と呟いた。彼はホリエモンに夢を見ていた。新しい時代が来ると思っていた。

 

だから、どんなに劣悪な環境でも自分の仕事を全うできたのだ。

 

今の時代、そこまでの夢を見せてくれた企業はどこにあるのだろう。

 

私は料理人としては、最も優れている飲食業の企業はマクドナルドだと思う。だが別にマクドナルドに夢はない。全てが完成されているという点で、最も優れていると思う。マクドナルドの価格を見れば経済が見える。それくらいのベーシックさがある。

 

だが、マクドナルドで働いて、マクドナルドと同じやり方で商売をして、マクドナルドより大きな会社を起こしてやろうと夢を見ている若者はまずいないだろう。

 

あの頃のIT産業と、ライブドアという会社、ホリエモンという人間には夢があった。

 

その夢を日本社会は阻んだのだ。

 

あのままライブドアが成長をやめなければ、トランプが大統領にはならなかったかもしれない。

 

まぁ、今更そんなことを言ってもしょうがないのだが。

 

要は、どこに夢を見つけて、どう叶えていくかというところに人間のスケールと言うものがある。その夢がとてつもなく大きくなったとき、それを受け入れる社会のスケールというのも必要になってくるのだ。

 

だから、トランプを大統領に選べるアメリカにはまだまだ敵わんとも思うし、ホリエモンを潰さなくては自分達が潰されると思ったあの当時の経済トップたちの判断も、致し方ないとも思う。

 

日本は島国だ。島国は小さく弱い。だから守りあいながら生き延びていかねばならぬ。そういう社会なのだ。

 

インターネットでグローバル化した社会にあって、そういう古い社会は無くなっていくのかもしれないが、でもしかしそれでも、忘れてはいけないことのような気もする。

 

どんなに世界中の人と繋がれても、そこにはまだまだ深く遠い溝があるのだ。我々はその溝を埋めていかなければならない。

 

そういう意味では、料理というのは溝を埋めていくための大きな武器になるよなぁ、と思う。

 

そこに夢はあるのか?

そんなことを考える。

サイレントマジョリティ。

欅坂46とか言うアイドルが歌っているサイレントマジョリティという曲を聞いた。

 

一糸乱れぬような統一感のある踊りをしながら、ルールに縛られたくない若者の気持ちを歌う。

 

若い頃の気持ちは複雑だ。

 

自我はあっても、社会との折り合いの付け方も知らないし、そもそも社会がよく理解できていないし、今時の大学生くらいにもなれば、相応の社会的知識も、法的根拠も知っているだろうから、権利を主張するのか社会に迎合すべきなのか迷うことだろう。

 

そういう意味での生きづらさは自分も若い頃に経験したような気もする。

 

もっとも、私の場合それは一般的なものとは少し違うかったようにも思う。とにかく一般的な常識がわからなかったからだ。なにせ、カルト宗教の家庭に育ったもので、日本人の一般的な考え方を教えられずに大人になってしまった。

20代の10年間はすべて、この世界をイチから知るための時間だったのだ。

 

そういう経緯もあって、良い意味で他人を信用することができず、先入観なく最初から物事を疑ってかかるのが癖になり、本質を洗い出してからでないと取捨選択できない性格になってしまった。

 

だから、サイレントマジョリティというのはわかるようでわからない。少なくとも欅坂46が歌うには、あまりにもズレた感覚を覚える。

 

とは言え、飲食業をしているとサイレントマジョリティほど厄介なものは無い。たまに、わがままを言う客がいると逆にありがたいと思う。

 

何も言わずに支持しない。むしろ批判する。それがこの国のサイレントマジョリティではないだろうか。

 

だが、言ってくれないとわからないこともある。

ただ、それはルールを逸脱すべきでも、ない。

 

私がこの歌に違和感を覚えるのはそこだ。縛られるのがいやだ、大人には騙されない、たしかにそういう気持ちもあるだろう。

 

何も言わずにいても変化は起きない。その意味では確かにサイレントではなくNoを突きつけるべきだ。Yesと言うべきだ。

 

だが、この世界は君だけのためにあるのではない。

 

店と客の関係もそうなのだ。店の都合だけでは成立しないし、客の都合だけでも成立しない。お客様は神様ではなく、お客様なのだ。私達はお客様のために日々働き、サービスを提供して代価を頂戴している。

 

お客様はお客様らしく、どんと構えていてくれれば良い。足りないものがあれば足りないと言い、美味しくないと思えばそう言ってくれれば良い。落としたナイフフォークを拾う必要も無ければ、揚げ足を取るようなクレームをつける必要もない。

 

私はそう思うが、そうではないお客様も多いし、もちろん人の良いだけのお客様も多い。

 

だから、私達は気が付かなければならない。サイレントマジョリティが何を求めているのか、何をサービスするべきなのかを。

 

サービスのアプローチは様々だ。接客を求める人もいれば品質を求める人もいれば、雰囲気を求める人もいる。

 

お客様を見つめ、観察し、その先にいくつかの選択肢があって、答えはいつも簡単ではないようで単純ではある。

 

結局、日本人がサイレントマジョリティになってしまうのは、選択肢が増えすぎたせいなのかもしれない、とたまに思う。

 

若者の生きづらさもきっとそうだ。

 

道が多過ぎて、黙って歩くしかないのかもしれない。

 

私には料理の道しか用意されてないので、サイレントマジョリティになる必要もなければ、声を立てて権利を求める必要もない。

 

だから料理人は偏屈でいられることが許されているのかもしれない。

 

 

涙など見せない。

飲食業をしていて、色々と問題は多いのだけれど、続けていて良かったなと思う時は大抵、お客様の存在に気付くときである。

 

日々、大量の客を捌いていると、忙しければ忙しいほど、客の顔ひとりひとりまで覚えていることは少ない。

 

もちろん、客商売なのだから、すべてのお客様の顔を覚えて対応ができれば、きっと凄い商売人になれるのだろうけど。

 

政治家で言えば、田中角栄などは、人の顔と名前を良く覚えていたことで有名だったそうだ。一国の首相ともあろう人に、顔を名前を覚えていてもらったら、それほど嬉しいことはないだろう。

 

田中角栄は飲食店をしてもきっと成功しただろうなと思われる。

 

逆に、それは店側の立場としても同様で、前回来たときに店員としての自分を覚えていてくれた人がいると、嬉しいものだ。

 

人間というのは、そういうふうに承認欲求を満たし合って存在している生き物だと思う。

 

頑張っている自分を見て欲しい、わかってほしいのである。

 

だから、受けるよりもまず与えなさいと聖書が言うのはある意味当然である。承認してほしいならまず誰かを承認することが優先である。自分を愛せない人が他人を愛せないのも、似ているような気がする。

 

ものすごく忙しい日が続いた夏の暑い日、厨房で汗だくになりながら必死で料理を作っていて、オーダーに追われながら気を失いそうになる瞬間がある。

 

オーブンやフライヤーの熱気で厨房は灼熱地獄。客が入るのは嬉しいが、それが三時間を超える辺りで人間は集中力も切れてくる。用意していた水は飲み切ってしまい、喉を潤す暇すらない。

 

次々に舞い込むオーダーに食らいついては、死に物狂いで目の前の料理に力を注ぎ込み、命を削っている気持ちにすらなる。

 

もうダメだ、もうこれ以上は、とあきらめる瞬間が今か今かとやってくる。手を抜いてしまえと悪魔が囁く。でもそれをしてしまっては、とまた手に力を入れ直す。

 

次の瞬間、仲間のミスに足を取られる。オーダーミスで、致命的な遅れを喫する。口には出さないが、このやろうと思ってしまう。その料理を作り直すために、どれだけの労力が必要と思っているのか。

 

だが共に戦っているのだ。彼も限界なのだろう。私も限界だ。そもそも限界なんて自分が決めることじゃないか。そうか限界なのか?自分はここまでの人間なのか?

 

その日の限界点を絞りに搾り尽くして、出がらしになるまで働くと、ついに何も見えなくなる瞬間が来る。もう何も考えられず、目の前のことすら見えない。

 

 

そんな瞬間に、ふとお客様の存在に気付かされる。

 

キッチンの前を通る老婆が、私に微笑みながら、ありがとう、ごちそうさまと言ってくれる。それだけのことに泣きそうになることがある。

 

ありがとうという言葉はそれくらいの力を持っていると思い知らされる瞬間だ。

 

でもそれを知るためには、限界を乗り越える必死さが必要なのだろう。

 

だから、ありがとうという言葉を自然に言えるようになるのもまた、同じなのかもしれない。

 

私は自然にありがとうございますと言えているのだろうか。

それはお客様にどれだけ伝わっているのだろうか。

 

だから、涙など見せられない。

どうなりたいか、どうしたいか。

主観、客観という見方がある。

ミクロ、マクロという見方がある。

お客様の立場、料理人の立場というのがある。

 

すべて社会という枠組みの中で、あらゆるルールだとか考え方だとか方法論という筋書きの元に、結局は個人として単体の動物としての成り行きの原始的な行動が始めとしてあり、複雑に絡み合うように見えて、結果は淡々としている。

 

できないものは、できないし。

できることが、今のすべてであるし。

 

正解とは何かとか、自分とは何者であるかとか、料理とはこうあるべきだとか、他人がこうだからそうだとか、常識がそうだからこうしようとか、時代が悪いからしょうがないとか、私は悪いとか悪くないとか。

 

風が吹けば桶屋が儲かる

 

選挙に行けば何かが変わるのか?恐らく、個人の一票がその個人の願いを叶えるほどの重みは持つまい。だが、個人の信念の一票が、続けているとやがてその願いが届く日は来るかもしれない。

 

川に小石をひとつ放り込んだところで、川の流れは止めることも変えることもできないだろう。だが、それを毎日続けていれば、いつか誰かの目に止まり、何故小石を投げ続けているかを問われ、その答えに応ずるものがあれば、その誰かに川の流れを制する力があれば、もしくはその他大勢の人々の賛同があれば、川の在り方は変わるかもしれない。

 

だが多くの人は、川に小石を投げ込んでも、すぐに沈んで何の意味も成さないことを知っている。そして、本気でそれをやっている人間を見たとして、本気でそんなことをしているとは誰も思わないだろう。

 

だから川の流れを変えるというのは大変なことだ。

 

だが、本当にそうなのだろうか?

小川くらいなら、なんとかなるんじゃないか。

その小川を何本か変えていくうちに、大きな川への石の投げ込み方が、わかってくるのではないか。

 

結局、人間というのは、生き物というものは、どうなりたいか、どうしたいのかということが重要だと思っている。

 

あらゆる生き物はまず生の欲求に溢れている。人間くらいが、自分で自分を殺すことができるレベルの知性を持っているのかもしれないが、それが恵まれたことなのかどうかは個人差も大きい。

 

生きていればそれで良いのだ。息をしていればそれだけで良いのだ、まずはそれくらいのところまで単元的に見つめなければならないのかもしれない。

 

そこから、まずはあらゆる先入観や、常識、哲学、宗教、道徳、イデオロギーパラダイムというものを消し去って見たときに、自分に残されるものが何かということ。

 

それが、自分を動かしている根源的なものであろう。

 

その根源的なものが破壊的な人は、人を殺したり人から奪い取ったりすることでしか生きていけないのだろうし、短絡的な人は、そういう手段にしか自分の術を持たないだろう。

 

しかし、もしそれに自ら気が付いて、社会の求めるそれとは自分の思っていることが相容れないのだとなったとき、それを変えていけるのも人間の知性ではないかと思う。

 

自分が変態的なまでに貪欲な破壊欲求があったとして、それを気付いても変えられないとすれば他の動植物と同じかそれ以下の存在である。

 

変えようと思うこと、変わりたいと思うことが始めに在り、そこから方法論というものは生まれてくるわけで、その後付として歴史や科学があり、結果として今の社会が成立している。

 

時代が変わっていくのは健全なことであり、人の考え方が変わるのも、人が裏切るのも、翻るのも、ごく自然な川の流れである。

 

そうでなければ、何事も始まらない。

 

だから、人間とは何を成すべきでもなく、まずは自分がどうなりたいのか、どう在りたいのかを常に問うべきではないか。

 

ご飯を食べたいなら、より美味しいものを。

そういう思いが、料理を進化させている。

 

最初から三ツ星レストランを作れる人間はどこにもいない。

最初は小石しか投げられないのだ。そしてその小石が小石のまま、何も変えられずに何も気付かずにあきらめていく人の多いこと。

 

世の中には、その小石を別のものに変えていく人か、小石を本気で投げ続ける人かのどちらかが必要とされている。

 

あきらめた人に、誰も手は差し伸べない。

 

私は小石しか持たない。だから小石を投げ続ける。どんなに沈んでも、届かなくても、私はそれが小石であることを知っていて、それを投げ続ける。それで一生が終わっても、全てが最後に流されても、私はそれでも構わない。

 

最後の一投まで投げ切る覚悟で、ぶん投げるのだ。

 

それでダメなのは、きっと私ではないのだから。