読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

発信する時代を生きるとは

呟くひととき

2017年。

 

やれ、生きにくい時代になったものだ、と言う人がいる。

私は1979年生なのでもうすぐ初老がやってくるが、こういう人はいつの時代も居て、また自分も等しく、そう思う時期があるものだと思う。

 

つまり、自分の人生における問題のいくつかを、時代のせいにしてしまおうというある種の責任転嫁だ。

 

自己責任という言葉が溢れ、誰もが誰もを監視しているかのような、とはいえ杓子定規というわけでもなく、なんとなくだらしなく生きている人々も多いのだが、さりとて現代に生きる人々が概ね直面しているのは、発信する時代であるということではなかろうか。

 

そもそも、人間のみならず生き物というものは何かを発信して生命を繋いでいる。それが花粉なのか、音波なのか、電波なのか、エネルギーなのかという差であって、たまたま人間には言葉というものがあって。

 

動画であれ音楽であれ、画像であれ、やはり言葉というものから分離されているわけではないと思っている。

 

受け取る人間の頭の中で、その思考の行程として言語があるわけで。言葉とはつまり、人間として生きる上では非常に重要な要素のひとつでもあると。

 

そんな言葉を持ってして。どこまで発信することができるのかということを思う。伝えることができるかどうかまではわからない。

 

だが、発信できる時代になった。

雑多に溢れるネットの情報の片隅で、私は誰に読まれるともわからぬ言葉を書き殴る。

 

なるべく簡潔、丁寧に。

よろしくお願いします。