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流行という事象

なんでも流行というものはある。ファッションでも政治でも音楽でもなんでも。

 

あれは、あの熱狂はなんだろうと思うことがある。若い頃は、理由もわからないし、とにかく反抗することしか思い浮かばないので、流行りの料理をメニューに入れろと言われると不機嫌になった。

 

今では経営者としての目線も持ってしまったので、反抗するどころか最も効率よく売れる流行りの料理を何でもいいから教えてお願い、という状態であるから、人間というものは変化する生き物である。

 

つまり、変化する生き物ということが大事であって、流行というのはその変化に対応するクッションのようなものかとも思う。

 

ただ、流行を取り入れるのと、タダ乗りするのとでは違ってくるので、どちらが適切なのか見極めるのは年々難しさを感じるようになってきた。

 

自分の作っている料理が古いのか、それともトラディショナルとして確立しているものなのか、ということもある。確立していれば受け入れられる幅の問題かと思う。これはつまりマーケティングである。

 

逆に、流行を取り入れる時はどこまでそうすべきなのかを迷う。全く同じものを出すべきなのか、それがどう見ても真実の物とは思えないとき、どうアレンジして自己流に直すべきか、それとも信念やプライドなど捨てて、積極的に乗っかって行くべきかというのは、料理人目線と経営者目線で異なるので常に二律背反である。

 

だが、流行のものが売れるというのは見過ごすことのできない現実である。同時に、流行を生み出すことができれば大きく勝てるという野望も捨て難い。

 

だが結局はどちらにせよ、自分の料理がしっかりと確立されていないと話にならない。流行のものが自分のレベルより上か下かということは関係がないのである。

 

自分の顧客がその流行をどこまで求めているかということだ。

 

だから流行を気にしない料理人も、気にしすぎる料理人も、どうかなぁと思う。流行とは変化の行き先である。最初の変化をどう捉え、その先をどう予測し自分の料理を進化させるか。

 

そういうことを問われているのだと常に思う。

 

だから、コンビニの弁当から目が離せない。これは確か、亡くなられた岸朝子もそう言っていた気がする。

 

小規模店舗の料理人譜勢では、大手企業のマーケティングには勝てないのである。だったらせめて、その結果を見て矛先を変えて戦うしかないのだから。

 

俺の料理こそ正しい、と思ったら終わりかなと。

 

だから流行くらいそっとしといてやればいいと、若い頃の自分には思う。今更。