料理との出会い

人間の幸せとは恐らく、これというものをいかに早く見つけて自分のモノにしていくかということが大きいと思うのだ。

 

自分探しとか言っている暇な人は別として、生きていかねばならない限り、何かで自分を律して業を積んでいかなくては、何一つ身につかない。

 

自分の場合はたまたま料理というものに出会えたのが幸運である。だが、それほど運命的な出会いだったわけでも、ない。

 

ごく身近に寄り添う形でそばにあっただけだ。

 

私の母は調理師免許を持っており、幼い頃から私は家事を手伝っていた。小学生になると母は当時で言う自律神経失調症となり、寝込む日々が続いた。

 

こうなると母の料理を食べられる日は少なくなり、父が買うコンビニの弁当、惣菜を食べる日が多くなり、やがてその父親も仕事で忙しくなると、私は毎日冷凍庫にあるパンを食べるようになっていた。

 

子供だから、私はそれが特段不思議なことと思わなかったが、父がそれに気付いて母に激怒する。そうやってまた母の体調が悪くなり、私は行き場が無くなると。

 

子供の頃から料理を手伝っていたので、私はとにかく冷凍パンを齧る生活はしてはならないのだと思い、家にある材料を見様見真似で調理することを思い立つ。

 

そうして誰に教わるわけでもなく、失敗を繰り返しながら自己流でチャーハンや出汁巻き、オムライスに餃子、カルボナーラなど、次々に得意料理が増えていった。

 

今思えばあの頃の試行錯誤がなければ、今の自分の技術は無かったのかもしれないと、両親には感謝しかない。

 

ネットで調べる事もできなかった30年前、テレビで見たり何度かしか食べたことのないカルボナーラを再現するに至っては、牛乳と粉チーズと卵をかき回して、これぞという配合と加熱を思いつくまでに何度も失敗した。

 

この時既に私の中には料理人としての気概が芽生えていたのかもしれない。

 

就職する時も、料理は眼中になかった。文章を書くことは好きだったので、それで飯が食えればいいなと、出版業界への就職を考えていたくらい。

 

今思えば、出版業界に就職しなくてよかったと思う。

 

たまたま受けようと思った会社の採用時期が思っていたより半年くらい先だったから、それまでバイトでもしようと入った飲食店に、たまたま私の師匠が働いていた。

 

それだけのことだった。それから20年。紆余曲折を経て私は料理人と名乗るようになった。

 

人生、何が出会いかはわからない。ある日ふと振り返って見て、ああ、それがそうだったのかと気付く。ごく自然に手にしているものが、それはその人の本質であり、業なのかもしれない。