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経営者と料理人

きっと、永遠のテーマなのかもしれない。

 

経営者はお金を稼がなければ店を存続させられない。店が無ければ従業員の生活も守れない。

 

一方、料理人も、美味しい料理が出せなければ客を呼べない。客を呼べない料理人は、店に要らない。

 

20年以上前は、両者が別の者として共存出来ていた。経営者は経営者であり、料理人は料理人だった。何故なら、それだけの売上があったからだ。経営者は経営者たる行動と考えでいれば良かったし、料理人も純粋に料理だけ作ることに専念していれば良かった。

 

オーナーシェフという言葉が生まれた時代からだろう、経営者と料理人は両輪ではなく一体化するようになった。

 

だが、経営者としての思考と料理人としての思考は相反する。

 

経営者のようなポピュリズムに近い迎合的な考え方は、料理人の一貫したある種の頑なとも言える美学と必ずしも一致しない。

 

経営者は良く言えば柔軟で、悪く言えば八方美人。料理人は一本気で、頑固である。

 

両輪だからこそ、吸収されていた振動が、一体化すると直撃する。

 

オーナーシェフと呼ばれる人たちの多くは、常に自己矛盾と戦っているのではないかと思う。どんなに自分が良いと思う料理を出したところで、理解されなければ売上には繋がらない。そして、マーケティングから経営戦術、売上管理から支払い、仕込から調理、接客まですべてを自身でこなせなければならない。

 

昔なら腕利きの職人を雇えば済んだ。経営者は経営者でいられたし、料理人も料理人でいられた。相対的に売上が大きかったから。文句を言わせないだけの給料が払えた。

 

今はそうはいかない。飲食業は総ブラックと化し、安月給でハードな仕事を長時間こなさなくてはならなくなった。売上が取れないからだ。デフレのせいもあるし、飲食店自体がふえたこともあるし、消費トレンドの変化もあるだろう。

 

若い料理人を目指す者たちが、搾取に遭っているのか、必要な修行を積んでいるのか、判断しにくい状況にもなっていると思う。

 

だけど、若い人達には考えてみてほしい。チャンスも沢山転がっているよと。私の若い頃、技術なんてまず教えてはもらえなかった。怒られるだけでなく殴られたり、罵倒されたりというのはごく当たり前だったのだ。

 

もちろん今もそういう部分はあるだろう。だが今の時代はラベットラの落合さんが書類送検されたように、もうそういう育て方が通用しない時代であることを多くの料理人は理解している。

 

技術は教えて継承して守っていくもの、と考えている人も多い。昔は、飯のタネは教えない、が鉄則だったのだ。私達は厳しい修行と理不尽な仕打ちに耐えながら、臍を噛む思いで技を先輩から盗んできた。

 

時代が変わった。その機微に対応しているかどうか。それは経営者とか料理人とか、関係ないのかもしれない。

 

矛盾するものの中からこそ、真実が生まれてくるのかもしれない。