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今更ながらライブドア、ホリエモン。

ライブドア事件が起きたのはもう10年も前の事か。

 

10年前と言えば私は経営者だった。

12坪ほどの広さの店で、やりたいことをやっていた。

 

ホリエモン時代の寵児だった。うちの店の常連でIT関連の人はまず、ホリエモンを崇拝していた。今もそうなのかもしれないがあの頃のシステムエンジニアと言えば聞こえは良いが、労働環境は劣悪だった。

 

残業がどうのと言えるレベルではない労働時間。3日4日会社にいることはザラだったし、営業先で倒れる事案もあった。ヒルズではない、地方の都市でそれだったのだから、ライブドアのような先鋭企業の中の人たちはもっと大変だったろうに違いない。

 

もちろん、それが決して良い事ではない。労働時間が守られず、無茶な納期が横行し、ましてや企業のトップが証券取引法違反で逮捕となれば、普通の感覚でいけばブラック企業以外何物でもない。

 

だが、それは悪いことだったのだろうか。

 

あの頃の自分が間近に見ていたIT土方の人達と、逮捕されて地に落ちたホリエモンと、ライブドアという企業とを見比べて行くと、本当に悪いのは誰だったのだろうか、と思う。

 

 

ライブドア事件はつまり、自社株を利用した企業買収による自社株の価格釣り上げによって利益を出したことが粉飾決算だとして違法と断ぜられた事件なのだろう。

 

ネズミ講は、次々に顧客が増える事で無限に儲かるシステムと言うことが詐欺みたくなるわけで、ライブドア事件も要は自社株で買っても自社株の価値が上がるので買えば買うほど時価総額が上がっていくという方式に見えなくも無い。

 

そして、実際にはニッポン放送との買付けトラブルから、ライブドア事件の表面化が始まったのかなぁ、と思う。

 

つまり、ネズミ講で言えば有限が見えた、ライブドアのやり方に世間がNoを突きつけたわけである。

 

だが、その当時から私は疑問だった。そもそもホリエモン時代の寵児だったし、ライブドアは急成長した最も新しい企業だった。

 

出るものは打たれる、日本社会の歪な構造がはっきりと目に見えた瞬間だった。

 

私はいつか、この事件は評価が変わる日が来ると思っていた。

 

現在、その評価が変わったかどうかはまだわからない。

 

だが、確実に言えることはある。ライブドアという企業はあれほどの事件が起きて、社長がいなくなっても生き残り、LINEに吸収されたものの、今や1兆円規模で上場を果たしている。

 

ホリエモンは逮捕され二年近く収監されたが、今もなお活動を続けていて発信力と影響力を持ち続けている。

 

私のロングスパンで考え続けている疑問のひとつに‹いなくなっても残るシステムを作る経営者と、その人しかできないが1代でとんでもない収益を上げる会社を作る経営者はどっちが偉いのか›というものがあるが、実はホリエモンというのはこの両方を実現した人なのではないかと今になったら思う。

 

もしくは、先見の明が優れていただけなのかもしれないが。

 

ライブドアが自社株の成長力を利用して企業買収により株価を操作したと言えばそうなるし、そもそも成長力というのは信用力なのだから、それだけ引きつけられる事業内容があったということに他ならず、事実強制捜査があったときも、ライブドア自体にはキャッシュが大量にあったので、時価総額が急落しても、倒産という事態にはならなかった。

 

そのことだけを見ても、ライブドアという企業が凄まじい実体を伴う成長をしていたことがわかる。

 

粉飾というのはほとんど詐欺に近い。ないものを有るように見せたり、あるものを無いように見せたりすることだ。豊田商事は嘘の証券を売って人を騙し、会長は最後は惨殺されたがその時の所持金は数百円だったらしい。

 

ライブドアはどうだったのか。少なくとも、完全な詐欺ではなかった。逮捕されても何億円も保釈金を払えたし、会社が潰れることもなかった。金があったのだ。

 

インチキをして金を稼いだようにも思われているが、そういうやり方があったことを誰も気付かなっただけとも言える。

 

だが、例えば城下町の整備に尽力を注いだ織田信長は、経営者として今高く評価されている。次々に築城し、そこに町を作ることで商売の流れを作り、収税を上げていたのだ。

 

これは自然な流れではない。明らかに戦略的で、利益を誘導するために投資して更なる利益を得る上手いやり方だ。

 

ライブドアの企業買収も、結局は似たようなものだと私は思う。企業を買収して大きくなるほど、信用力が増して株価も上がる。ただ、それをどの時点で決算として報告するかを問題視されただけで、言わば言いがかりに近い気もする。

 

ホリエモンが逮捕されたとき、私の知るIT土方の人は「夢が無くなるなぁ」と呟いた。彼はホリエモンに夢を見ていた。新しい時代が来ると思っていた。

 

だから、どんなに劣悪な環境でも自分の仕事を全うできたのだ。

 

今の時代、そこまでの夢を見せてくれた企業はどこにあるのだろう。

 

私は料理人としては、最も優れている飲食業の企業はマクドナルドだと思う。だが別にマクドナルドに夢はない。全てが完成されているという点で、最も優れていると思う。マクドナルドの価格を見れば経済が見える。それくらいのベーシックさがある。

 

だが、マクドナルドで働いて、マクドナルドと同じやり方で商売をして、マクドナルドより大きな会社を起こしてやろうと夢を見ている若者はまずいないだろう。

 

あの頃のIT産業と、ライブドアという会社、ホリエモンという人間には夢があった。

 

その夢を日本社会は阻んだのだ。

 

あのままライブドアが成長をやめなければ、トランプが大統領にはならなかったかもしれない。

 

まぁ、今更そんなことを言ってもしょうがないのだが。

 

要は、どこに夢を見つけて、どう叶えていくかというところに人間のスケールと言うものがある。その夢がとてつもなく大きくなったとき、それを受け入れる社会のスケールというのも必要になってくるのだ。

 

だから、トランプを大統領に選べるアメリカにはまだまだ敵わんとも思うし、ホリエモンを潰さなくては自分達が潰されると思ったあの当時の経済トップたちの判断も、致し方ないとも思う。

 

日本は島国だ。島国は小さく弱い。だから守りあいながら生き延びていかねばならぬ。そういう社会なのだ。

 

インターネットでグローバル化した社会にあって、そういう古い社会は無くなっていくのかもしれないが、でもしかしそれでも、忘れてはいけないことのような気もする。

 

どんなに世界中の人と繋がれても、そこにはまだまだ深く遠い溝があるのだ。我々はその溝を埋めていかなければならない。

 

そういう意味では、料理というのは溝を埋めていくための大きな武器になるよなぁ、と思う。

 

そこに夢はあるのか?

そんなことを考える。