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家族の死。

もうすぐ、家族が死ぬ。

 

家族と言っても、祖父だ。既に医師からは脳死の判定を受け、人工呼吸器によってのみ生かされている状態だ。

 

父方の祖父は私が小学生のときに亡くなった。小学四年くらいだったろうか。病院のベッドにいる祖父の手を握って、これがじいちゃんの手か、という記憶と、次の記憶は、鼻に綿を詰められて、棺桶に横たわるじいちゃんの顔しかない。

 

私の家庭は複雑だ。と言うと、父親が二人いるとか、腹違いの兄弟がいるとか、そういうことを想像するものだが、私の家の場合は少し違う。父親も母親も、家庭に問題を抱えていたのだろう、宗教に走っていたのだ。

 

今にして思えば、二人共が家庭環境への満たされない思いから共感を覚えて結婚したのかなとすら、思う。もちろんそれだけではないだろう。夫婦はそれほど単純ではなく、ある意味単純だ。

 

今回死ぬのは、母方の祖父だ。

 

父方の祖父が死んでから、私が父方の親戚と会うのはそれから13年後、父親が死んだときだ。そしてそれから15年が経つが、会うどころか一度も連絡を取ったことがない。

 

父には兄と姉がいたが、父が彼らを良く言うことはなかった。恐らく、祖父が死んだときに、遺産放棄したのも兄弟の確執があったからなのだろうとはずっと思っていた。

 

父は私が23歳の時に病死した。葬式には兄とその家族が来てくれたが、葬儀が終わって食事したときに、思い切って兄に聞いてみた。父とは何があったのかと。

 

兄は涼しい顔で何も無いよと言った。兄と父は顔がよく似ていた。だが、兄の涼しい顔は今でも良く覚えているが、あれは嘘を貫き通すときの人の顔だ。兄を悪く思っているのではない。色々事情はあったのだろう。

 

ただ私は知りたかっただけなのだが、何も教えてはもらえなかったし、姉に至っては葬儀に行く必要もなしと、ハナから相手にしなかったそうだ。

 

恐らくそこまで兄弟の袂を分けたものは、その原因はひとつではないだろうが、お金と宗教だろうと思う。父方の祖父も晩年はコンコン教に入ったと言われ、いわゆる狐憑きになった。何をするにもキツネに伺いを立て、その伺いに反すると怒ったものだ。

 

父の兄はそれでも一緒に住み、最期まで面倒を見た。私の父は末っ子で、自由に生きた人だった。それに対する嫉妬心のようなものも、なかったわけではないだろう。だが、当の父自身はきっと弱い人だった。兄のそういう気持ちを察するに至らず、分かり合う努力をしなかったのだろう、と今にして思う。

 

ようするに、私の父は家族から見限られていたのだ。

 

対して母は、家族との結束力は父より強かった。三姉妹の長女で、仲が非常に良い訳でもないが、連絡は取り合い、年に一度は皆が集まり、私も17歳まではそこに参加していた。

 

母方の場合、見限られていたのは祖父の方だった。祖父もまた末っ子で、父よりも遥かに好き勝手に生きた人だった。私は親族の中でも、最もその祖父に性格が似たと言われて育ったが、私はあそこまで破天荒な生き方はしていないと思う。

 

飲む打つ買うを地で行ったような人だった。

 

だからこそ、祖母はいつも泣かされてきたし、それを見て育った母は、自身も振り回されながら、妹二人を守る為に、祖母を支える為に、自分を犠牲にする人生だったのだろうと思う。

 

そこについては同情の余地もあるのだ。だが、頂けないのは、私を身籠った母が、とある宗教に入信したことだ。

 

エホバの証人という、キリスト教系カルトだ。私はお腹の中にいるときから聖書を読み聞かされ、生まれてからも教理を叩き込み続けられ、学校教育は否定され、とにかく世の中のあらゆるものが悪い事のように教えられて育った。

 

私はカルト宗教の英才教育を受けて育ったのだ。今はそれも自分のひとつの側面と受け入れているが、20代まではそうではなかった。

 

これが普通の家庭なら、宗教にハマった母親が総スカンをくらい、糾されるか離婚するかという問題に発展しようものだが、我が家の場合は違った。

 

父も、母の二人の妹も、祖母も、みんな揃って入信したのだ。私の家族は皆が熱心な信者となった。祖父だけが相手にしなかった。だから、祖父だけが相手にされなくなった。

 

破天荒な人だったから、それが出来たのだろう。相手にされようがされまいが、自分を貫き、したいことをして、死んでいく。

 

病院で寝ている祖父の姿は、父方の祖父より安らいで見える。私は孫として、祖父の生き方を理解している。孫だからこそ、直接被害もなかったし、性格も似ているからこそ、ととと人工呼吸器など外してあげればよいのに、と思う。

 

人間は弱い生き物だ。皆が何処かに誰かに心の拠り所を必要としている。母が宗教にハマったのも、母の家族がこぞって入信したのも、初老を手前にして今は理解できるし責めるつもりもさらさらない。

 

だが結局のところ、人は死に、人はそれまでの間苦しかろうが何だろうが生きていかねばならぬ。

 

宗教や恋愛やというものは、その辛い人生に付ける塗り薬のようなもので、その間少しだけ痛みは和らぐが、効き目が無くなればそれまでの儚いものだ。

 

幸い母と母の家族は、ずっと信仰心を保つことでその効力を維持してきた。なんならこのまま最期までそれでいてくれて私はかまわない。

 

だが、祖父は死に行こうとしている。祖母は半ばボケているようにも見えるが、祖父の死には延命はしないと医者に告げている。母は、そんな祖母を傍目に見ながら、ある意味冷静に祖父の死にゆく姿を見つめている。

 

思えば、母は父が死んだときも冷静であった。死んでもまた楽園で会えると信じているのだ。宗教があるから、父が死ぬ悲しみを乗り越えられたのかもしれない。

 

だが祖父はどうか。これまでのことを考えれば、祖父とは楽園で会う必要がない。祖父は入信しなかったから、宗教による救いは用意されていない。

 

母に祖父の死後どうするのかを問うても、具体的な答えは返ってこなかった。葬儀や相続問題など、具体的な問題は山ほどあるはずで、そのどれを問うても、まだ考えてないという。

 

私にはそういう人の気持ちはわからない。日頃から準備をしているので、私が母の立場なら、脳死判定の時点で呼吸器を外す決断を家族に承諾を得て回るだろう。

 

脳が死んでいるのだから、延命をする意味はない。放っておいて臓器不全を待つよりも、そっと逝かせて上げることの方が楽と思う。

 

脳が出血していた祖父は、3日前の集中治療室にいるときは脳が膨らむのを抑えるために全身を冷やされていた。私が腕に触ると、祖父は寒いのだろう、指先を震わせて硬直し始めた。

 

それから比べると今日は、顔も手もむくんでいたが安らかな表情だった。

 

母は自然に任せると言う。私は人工呼吸器が既に自然ではないのだよと思う。だが、人工呼吸器を外すという行為は、母にしてみれば父を殺すのと同義なのだろう。それは宗教上憚られることなのかもしれない。

 

なにせエホバの証人は輸血を禁じていることで有名だ。

 

人工呼吸器を外さずに、臓器不全を待つのは家族のエゴだと私は思う。だが同時にその時間も必要だとは思う。脳死と言われて、その時点でもう死んでいるのと同義なのだが、完全に呼吸も止まって、冷たくなってしまうのとは訳が違う。

 

効率的な考えからすれば、早く呼吸器を外す方が良い。だが家族の心の準備を考えれば、病室でまだ温かい身体のままでいる家族の死に向き合う時間は必要だとは思う。

 

宗教をもってしても、憎んだ親子関係を持ってしても、家族の死に対して向き合う時間というものは変わらないものなのかもしれない。

 

受け入れる時間が必要で、整理する時間が必要だ。

 

私は父が死んだときに、その死ぬ3日前から不穏な兆候はあったことを思い出す。私はそのときに父が死ぬ事を直感し、だから実際に死んだときも衝撃はそれほど受けなかった。ああそうか、やっぱりなという感じである。

 

そして冷静に対応し、葬儀の手配をした。

 

だが、それが終わって、ふと車に乗り込んだ瞬間、涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。きっと優しい父親だった。どこにでもいる、普通の人だった。少しだけ宗教にかぶれたが、それ以外はごく当たり前の人間だった。

 

車で泣いて、銭湯で2時間くらいボーッとして過ごした。

 

葬儀が終わり出棺を迎え、火葬場で父が荼毘に臥されるときも泣いたが、燃やされたあとの父を見て、ただのゴミになったと思った。灰になって初めて、いなくなったのだなぁと受け入れることができたのかもしれない。

 

今回もそうなのだ。祖父は楽しく生きた。私はそれを見送るだけで良い。悲しみもなければ、辛さもない。祖父の思い出を整理し、それを家族と分かち合い、荼毘に臥すのを見送る。

 

そういう一連の流れで、人は旅立ち、人はそれを受け入れる。

 

そう考えると儀式というものは非常に良く出来ている。

 

それもまた宗教のなせる業かと思えば、カルトだろうがイスラムだろうが何だろうが、そこについては悪い気はしない。

 

結局、それを信ずる人同士の問題なのだ。

 

私は生きている間全てを疑う。そしてそれこそを信じるしかない。その過程にこそ、答えがあると思っている。

 

祖父よ安らかに眠れ。