料理人が見る世界

料理人とは何か。その答えは実はちょっと難しい。いや簡単か。

 

菊乃井の村田さんという有名な料理人が、先日テレビで[料理とは理を料ると書きます。理とはことわりです。だから料理人というものはまず考えないとあきません]というようなことを言っていた。

 

考えるのが料理人なのだ。

 

素材と対話する、という人がいる。どうやって?

何も話さない素材と、どのように対話するのか。素材と向き合い、その性質を知り、活かし方殺し方を知り、育ち方や育った場所の背景にまで目を向け、手に取って目で見て口にして初めて、素材からの声は聴こえる、かもしれない。

 

私が20年料理をしてきて思うことは、食材というものは誠に嘘をつかないものであるということに尽きる。

 

素材と対話するというのも一つの言い方かもしれない。素材を見抜くという言い方もあるかもしれない。そして結果的に嘘をつくのは人間であり、騙されるのも人間である。

 

素材は嘘をつかぬ。人間がこれに嘘をつかすことはできる。だが素材が嘘をつかぬ限り、騙されるのは人間だけである。

 

料理人が見る世界というのは、料理を通じてこそ。自分が作り出したものを食べて、人がどのような反応をするか、それを見続けているということだ。

 

もし料理が無ければ、料理人という生き様は実現しようもなかっただろう。これぞ文化というものだと思う。料理人は料理を通して、宗教家にも哲学者にもなれる。料理が無ければ、ただの人。料理があっても、まぁ、ただの人の域は出ないか。