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味覚の思考

味覚を言葉で表現する。これほど難しいことはないと私は思う。特にそのバランスについて、後輩を教える時、誰かに料理を教える時、いつもこの問題に直面する。

 

結果、レシピというものを生み出すことになり、そのとおりに作らせておいて、出来上がったものを食べた時に、ああ、違うな、と思うのである。

 

味覚を思考することがないからだ。

 

味覚は直感であり、感覚は思考で制御も再現も簡単ではない。これができるのは料理人でもごくわずかで、それができるからと言って優れた料理人と言われるわけでもない。

 

大体、優れた料理人と呼ばれるのは唯一無二の味覚を生み出せる人のことを指すことが多いのではないか。

 

他の誰もが作れるわけでもない料理を作れる人が褒められるのであり、料理を細分化して再構築できる料理人は、他の料理人から認められることはあれ、恐らく世間一般ではまずその凄さがわからない。

 

わかりにくく書いてしまったがつまり、誰かの作った料理を食べて、そのレシピが理解出来て同じものを作れる人のことを言っている。

 

私にはできない。ある程度はできるが絶対的ではない。

 

音楽で言われる絶対音感のような、これは能力、才能であり天賦の賜物と、相対音感すら乏しい20年選手は思う。

 

味覚を絵にできたら?

味覚を言葉にできたら?

 

そう思うこともあるが、恐らく出来たとしても伝わらないのである。私も色々な先輩方に教えを請うてきたが、いよいよ教える立場になった今も、どうやってこれを覚えてどうやってこれを教わったのかよくわからないというのが正直なところである。

 

先輩たちと肩を並べられるような料理を作れるようになったとはこの頃思うが、先輩たちの料理をそっくりそのまま再現出来ているとは到底思えない。

 

ある程度のことは教えてもらったのだけれど、最後の最後、味覚を決める際の際、その深淵については先輩方から教わったことは何もなく、自ら誰かに教えられることも少ないのではないか、そんな風に思うのである。

 

塩味や甘味や酸味や辛味や苦味の狭間で、時に針に糸を通したり、時に大胆に取って捨てたり、パーテーションで区切って見たり、瞬間瞬間の判断でいろんなことをしている。

 

ここでこう、そこでこう、と思うことはあるが、その地点をまず説明ができない。塩味より甘味が0.25増えた時、とか数値化出来るのかもしれないが、それを指数化する装置が即応性に優れない限り、瞬時の判断に説明は付かない。

 

まず自分の舌という味覚があって、目分量と言われるような視覚的感覚と、手の触感による熱量や重量の感覚を通して食材の状態をコントロールして、目指す味に近付けて行くしかないわけで。

 

どうやったら味付けが上手くなりますか?という質問は、ものすごくわかるのですがものすごく難しい質問かもしれません。

 

なので、一番最初に答えるのは、人間の味覚のうち、塩分については、人間の血中塩分濃度と近似していますよということです。

 

塩化ナトリウムの血中濃度は0.8~0.9%と言われています。それを目安にしておけば、大きく味付けを間違うことはありませんよと。

 

しかし、世の中にある美味しい料理というものは、塩分と糖分、油分のコラボレーションで作られているので、人間の血中濃度とは異なってくるのですが。それは、説明が難しいのです。