絶望的な夢を見た日の朝は

絶望の深淵で夢を見る。 若い頃はそれが自分の人生だと思っていた。奈落の底はすぐそこにあって、気を許せばそこに落ちてしまう。だが、その深淵であっても夢を見ずにはいられない。 情緒不安定で好奇心に満ち溢れた青春時代だった。 今考えるに、この絶望の…

社会契約と説明責任

最近、知り合いの経営者さんと話していると「料理だけできてもそれだけではダメだよねぇ」という話題になった。 確かに最近は、教育の底上げがある意味では地道な成果を上げているし、インターネットによって知識へのアクセスもハードルは下がっているので、…

料理人から見た北朝鮮

昨今北朝鮮がにぎやかだ。 そんな風に言ってられるのも今のうちかと思ったり、ただのハッタリだろうと思ってみたり。 北朝鮮の料理と言われてもいまいちピンとくるものは無い。韓国料理の方が馴染み深いのは当然だろうし、北朝鮮に料理文化などあるのか?とす…

インフルエンサーとseishiro

朝方、出勤の傍らでYou tubeを見る日がある。 考え事を抱えているときは音楽すらかけないことも多い私の車内だが、朝は道も混んでいるので、気を紛らわすように何かの映像を流している。 乃木坂46のインフルエンサーという曲。 もう初老も近付くと音楽に対…

家族の死。

もうすぐ、家族が死ぬ。 家族と言っても、祖父だ。既に医師からは脳死の判定を受け、人工呼吸器によってのみ生かされている状態だ。 父方の祖父は私が小学生のときに亡くなった。小学四年くらいだったろうか。病院のベッドにいる祖父の手を握って、これがじ…

道脇裕という人。

NHKのプロフェッショナルという番組で、出ているのをたまたま見かけたので、眠いのを押して見てしまった。 そもそも去年か一昨年くらいにこの人の存在については知っていた。一般にはあまり知られているのかどうか、と思っていたが、プロフェッショナルに出…

距離感。

距離感とは、人との間で測るものだろうと思う。 自分と相手との距離感は、親密さや信頼をそのまま現すものである。 大人になると、その距離の測り方が難しくなるような気がする。 自分だけのことなら、自分の思うがままでよい。 だが、周りの人や、家族や同…

今更ながらライブドア、ホリエモン。

ライブドア事件が起きたのはもう10年も前の事か。 10年前と言えば私は経営者だった。 12坪ほどの広さの店で、やりたいことをやっていた。 ホリエモンは時代の寵児だった。うちの店の常連でIT関連の人はまず、ホリエモンを崇拝していた。今もそうなのかもしれ…

サイレントマジョリティ。

欅坂46とか言うアイドルが歌っているサイレントマジョリティという曲を聞いた。 一糸乱れぬような統一感のある踊りをしながら、ルールに縛られたくない若者の気持ちを歌う。 若い頃の気持ちは複雑だ。 自我はあっても、社会との折り合いの付け方も知らないし…

涙など見せない。

飲食業をしていて、色々と問題は多いのだけれど、続けていて良かったなと思う時は大抵、お客様の存在に気付くときである。 日々、大量の客を捌いていると、忙しければ忙しいほど、客の顔ひとりひとりまで覚えていることは少ない。 もちろん、客商売なのだか…

どうなりたいか、どうしたいか。

主観、客観という見方がある。 ミクロ、マクロという見方がある。 お客様の立場、料理人の立場というのがある。 すべて社会という枠組みの中で、あらゆるルールだとか考え方だとか方法論という筋書きの元に、結局は個人として単体の動物としての成り行きの原…

経営者と料理人

きっと、永遠のテーマなのかもしれない。 経営者はお金を稼がなければ店を存続させられない。店が無ければ従業員の生活も守れない。 一方、料理人も、美味しい料理が出せなければ客を呼べない。客を呼べない料理人は、店に要らない。 20年以上前は、両者が別…

料理との出会い

人間の幸せとは恐らく、これというものをいかに早く見つけて自分のモノにしていくかということが大きいと思うのだ。 自分探しとか言っている暇な人は別として、生きていかねばならない限り、何かで自分を律して業を積んでいかなくては、何一つ身につかない。…

料理とテクニック

料理人なら一度はハマる落とし穴がある。 超絶技巧だ。 まぁ、あまり有名ではないと思うが例えば中華料理では、豆腐を髪の毛の薄さに切り、ひとつの豆腐から十万本を切り出すという技がある。 国家認定されているはずなので、それはそれは凄い技と思うが、だ…

流行という事象

なんでも流行というものはある。ファッションでも政治でも音楽でもなんでも。 あれは、あの熱狂はなんだろうと思うことがある。若い頃は、理由もわからないし、とにかく反抗することしか思い浮かばないので、流行りの料理をメニューに入れろと言われると不機…

料理と政治

料理人とは面白いもので、料理があるところに必ず存在するわけだから、ありとあらゆる人種と交流する可能性を持っている。 まるで世界中の都市にチャイナタウンを作る中国人の如く、恐らく世界中のコミュニティに必ず一人は料理人が関わっているだろう。 我…

料理と死

人は生きているからこそ料理を作ることができ、生きているから料理を味わうことができる。 それと同時に、料理を作るということは様々な生き物の死を経てこそ、その屍の上に成り立つものであるということを現代人は忘れがちである。 屠殺場で殺される牛や豚…

味覚の思考

味覚を言葉で表現する。これほど難しいことはないと私は思う。特にそのバランスについて、後輩を教える時、誰かに料理を教える時、いつもこの問題に直面する。 結果、レシピというものを生み出すことになり、そのとおりに作らせておいて、出来上がったものを…

味覚という不明瞭なもの

料理人を続けていると、ふと疑問に思うことがあると思う。 味覚とはなんぞ? 人間の感覚なのである。体調に左右されるし、個人差もあるし、遺伝的なものもあるから、人種によってもその感覚は絶対的に違うと言える。 ちょっと風邪を引いただけでも人間の味覚…

料理人が見る世界

料理人とは何か。その答えは実はちょっと難しい。いや簡単か。 菊乃井の村田さんという有名な料理人が、先日テレビで[料理とは理を料ると書きます。理とはことわりです。だから料理人というものはまず考えないとあきません]というようなことを言っていた。 …

料理人であるという自覚

私は、料理人である。 こうはっきりと言えるようになるまでには20年かかった。とはいえ、未だにどこかに疑問符は付いている。 私は料理人なのか? 疑い始めればきりがなく、自分で決めたからそのように呼ぶしか無く、ついにそれが自他共に認められる水準で、…

発信する時代を生きるとは

2017年。 やれ、生きにくい時代になったものだ、と言う人がいる。 私は1979年生なのでもうすぐ初老がやってくるが、こういう人はいつの時代も居て、また自分も等しく、そう思う時期があるものだと思う。 つまり、自分の人生における問題のいくつかを、時代の…